ティッシュ・ペーパーは貰う
街角で配っているポケット・ティッシュ。意外ともらわない人が多い。恥ずかしいから、邪魔になるから、理由は人それぞれにあるだろうが、ティッシュは日常役立つものなので、ケペルはもらうことにしている。先日、通勤途中で急に便意をもよおし、駅のトイレに入ったとき、貰ったティッシュがたいへんに役立った。やすし・きよしの漫才ネタ「汝、神(紙)にみはなされたら、我が手で運(ウンコ)を掴め」という古いギャグを思い出し苦笑した。
坂東眞理子「女性の品格」は数年前、ベストセラーとなり、いわば現代版「女大学」のような女性の修身書である。初めにお断りしておくが、とてもイイことが書いてある本である。女性の品格と限定しているが、基本的には男女共通することは多い。ただ本書の一項に「無料のものはもらわない」とあるのが気になる。
「駅や盛り場を歩くと、消費者金融やデートクラブのテッシュペーパーがいくつも手渡されます。シャンプーや化粧品のサンプルをもらうときもあります。配っている人はアルバイトで早く配らなければならないから、もらってあげたほうがよい、会社もそのために配っているのだから、せっせともらいましょうという考え方はあります。でもこうした無料のポケットテッシュをたくさんためているのはあまりかっこうよくありませんし、特にテレフォンクラブや消費者金融のようなスポンサーのモノは、できるだけもらわないように気をつける、本当に自分で使おうと思わないメーカーのシャンプーや化粧品、食べてみようと思わない食品の試供品には手を出さないようにしましょう。何でももらえるものはもらっておこうというのはちょっと卑しく、品格をなくします。自分の基準で取捨選択し選ぶと身の回りもすっきりします。(中略)なんでももらうのではなく、ノーと言う勇気をもちましょう。
「女性の品格」というタイトルながら、「はじめに」で断わっているように男女を問わず品格は共通する。つまり「なんでも貰わない」「断わる勇気を持つ」ということは、男女共通する品格ある行動である、と坂東はいう。街頭での政治的なビラ、チラシや署名活動などには触れていないが、おそらく貰わない、断わるであろう。この本から多くの点は示唆に富むことも多いし、自分の行動規範としている事柄が網羅的に書かれているのだが、ティッシュやビラは貰わない、という点には異論がある。おそらく坂東眞理子はキャリア官僚なので街頭でビラ配りをした経験はないのだろう。ティッシュやビラを断わる行動で、「勇気をもちましょう」ともちだすのは、「勇気」の語の使い方が間違っている。若い女性がティッシュを配っていて、「ありがとう」と一言といって受けとるほうがカッコイイと思う。
家電の広告で先着何名様に、茶碗や皿を無料で進呈とあれば、早朝から大勢の人が並ぶ。坂東はそれらの人を「品格のない人」と見下げてみるのであろうが、ケペルは庶民のバイタリティとみたい。品格をことさら強調することが、ケペルの肌にあわないのだろう。品には上品と下品がある。上品は貴族的であり、下品は庶民的である。「無料のものなら何でも貰う」という行動は下品かもしれない。でも貧乏人にはティッシュ一つでも生活費の節約になるはずだ。下品でもいい。所詮、庶民は庶民、貴族のマネをしても無理だろう。タダなら貰え。品格なんて糞食らえ!
むかし家庭で聖書研究をしていて、あるクリスチャンに街頭でのティッシュを貰うかどうか、だずねたとき、「貰います。生活で役立つから」という明快に答えをもらった。つまり「タダのものを貰うのは卑しい」とは人倫の道ではなくで、貴族階級的なモラルのような気がする。倫理、道徳の徳目で品格を強調することは適当ではない。江戸の豪商・河村瑞賢は、精霊流しで捨ててあったナス・キュウリを拾って漬物屋で成功したのが第一歩だった。現代であれば食品衛生上問題があるのでこの逸話は子ども向けではないが、戦前の修身の教科書に載っていたと思う。多くの日本人がこの行為をお手本とし、河村瑞賢を品格のない人とは誰も思わなかっただろう。
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