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2009年1月31日 (土)

元祖お天気姉さん・相沢早苗

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    日本のテレビニュース番組の天気予報ではきれいな女性が解説してくれるのを何時の頃からか楽しみとなった。「7時28分の恋人」といわれる半井小絵はナイスバディで一度もトチリを聞いたことがない度胸のよさがすごい。山本志織は華奢な腕と目鼻立ちのはっきりした顔立ちの美人。加藤祐子、渕岡友美、関嶋梢も淑やかな感じの美女たち。NHKもいつごろからかこのような美人ばかりを揃えるえるようになったか知らないが、男性にとってはうれしい限りではある。が、美女に見とれてしまいどうも肝心の天気情報を聞きそびれる傾向にある。むかしは天気予報は年輩の男性だったようにおもうが、いつごろから「お天気姉さん」がテレビに登場するようになったのか正確なことは知らない。ただ相沢早苗が1980年代に愛くるしい笑顔で「お天気姉さん」の愛称が一般的になったように思う。花王のバブのCMなどにも登場していた。同じ頃、宇江佐りえ、志摩のぶ子などもアイドル的人気のお天気姉さんが登場した。テレビ各局がニュース番組で競って魅力あるお天気姉さんを発掘していった。現在までのところ最も人気があり美人だったのは、大石恵だろうか。大石恵が女優業や写真集などで一定の成功を収めたことで、後年、山田玲奈のような美形とタレント性を兼ね備えたお天気姉さんも出現するように進化していく。どうやら大学のミスコンの優勝者が気象予報士という職業を選ぶというコースができているようだ。

   いま半井小絵と山本志織とどっちが好き、と男性に問うと意見はおそらく二分するだろう。お天気姉さんブームはこれからも続いて、わずか二分間が男性にとって至福の時間である。

パリと裸の大将

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    山下清(1922-1971)は、昭和36年にヨーロッパ旅行をして多くの作品(貼り絵、スケッチ、手記)を残している。パリのモンマルトルは映画館や芝居小屋がたくさんあって、東京の浅草みたいなところだと言っている。浅草とちがうところは、モンマルトルには絵かきがたくさんいることである。モンマルトルの絵は、ひやかす人が多くてあまり売れないので、関口さんにあれで食べていけるのかときいたら、ここにいる絵かきはみんなパリへ絵の勉強にきているので、倹約して暮らしているし、パリにはいろんな内職があるので、なんとか食べていける。どんな内職をするのかと聞いたら、ペンキ塗りなどはいい内職だそうだ。

    やっとエッフェル塔にきた。いままでエッフェル塔は世界一に高かったのに、東京タワーができて世界で二番目になってしまったので、パリの人はがっかりしていると思ったら、エッフェル塔は高いだけが自慢なのでなくて、塔から見下ろしたパリの街の美しさを一番自慢しているので、からわないという。山下は兵隊のくらいになおすとエッフェル塔は退役の大将で、現役の大将は東京タワーだと思った。(参考文献:「裸の大将ヨーロッパを行く」ノーベル書房)

洋画界の新世代スターは誰だ

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 公開中の映画「マンマ・ミーア」で花嫁ソフィアを演じているアマンダ・セーフライド(23歳)がキュートな笑顔で魅力的である。今もっともハリウッドで注目されている若手女優は誰だろう。ヤングスターの筆頭は「ハイスクール・ミュージカル ザ・ムービー」で数学の天才学生ガブリエラを演じているヴァネッサ・ハジェンズ。フィリピン人の母を持つエキゾチックな20歳。「ランド・オブ・ウーマン」のクリスティン・スチュワート、「不思議の国のアリス」のミア・ワシコースカは18歳。「ハードキャンディー」のエレン・ページは17歳。「キャンプ・ロック」のデミ・ロヴァートは16歳。マイリー・サイラス、セレーナ・ゴメスも16歳。「テラビシアにかける橋」のアナソフィア・ロブは15歳。

   実力派の若手女優では、「Lの世界」のキャサリン・メーニッヒ(31歳)。「ターミネーター・サラコナーズ・クロニックス」で女ターミネーターを演じるサマー・グロー(27歳)。「ストリート・ファイター」のクリスティン・クルック(26歳)。「ステップ・アップ」のジェナ・ディーワン(28歳)。「トランスフォーマー」のミーガン・フォックス(22歳)。「ドラゴンボール」のエミー・ロッサム(22歳)。

   だが最近、なぜか日本の洋画ファンが新人発掘をしなくなった。たとえば「小さな恋のメロディー」のトレイシー・ハイドや、「ロミオとジュリェット」のオリビア・ハーシーのような存在がいなくなった。この中から一人でも日本での人気スターが現われるだろうか。

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                   エレン・ページ

2009年1月26日 (月)

アナザー・アイドル

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    島田奈美                 水野きみこ

    80年代は女性アイドル全盛時代だった。松田聖子、河合奈保子、柏原芳恵、中森明菜などキラ星の如くアイドルが誕生した。しかしその中で一瞬の煌めきで消えたアイドルも多い。1982年ポリドールより「私のモナミ」でデビューした水野きみこ、1986年「ガラスの幻想曲」でデビューした島田奈美もスターレットの一人だろう。島田奈美は西村知美との関わりで認知されることも多いが、水野きみこは雑誌の写真だけでテレビの歌番組出演の記憶がほとんどない。島田奈美の「パステルブルーのためいき」はシングルレコードを持っているが名曲だ。水野きみこは2年、島田奈美も実働5年で引退した。今、水野きみこは43歳、島田奈美は37歳、いわゆるアラフォー世代だ。ネットで調べるとなんと島田は現在島田奈央子としてDJとして活動している。こうしたいわゆるメジャーではないが、可憐に咲いた一輪の花のような存在を応援したくなるのである。いまから応援しても遅かったのだが、あの時はなにかと忙しかった、お金もなくてレコードが買えなかった、コンサートへも行けなかった、と色々と言い訳がましく述べつつ、ずっと君たちのことを覚えているよ、と伝えたい。もし彼女たちが「思い出のメロディー」のような懐メロ番組に登場して、元気で歌ってくれたら愉しいことか、と先ずありえないだろうことを想像している。

コンスタン「アドルフ」

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    コンスタン         シュニッツラー

   賭博狂コンスタン(1767-1830)の莫大な借金を、彼の尽力で七月革命で王位についたルイ・フィリップ(1773-1850)が返済してやったところ、彼は「ありがとうございます。でも陛下が自由に背けば、私たちはたちどころに叛逆します」と言明したという。コンスタンは著名な文学者スタール夫人(1760-1817)との長年の関係も有名である。

    筑摩書房の世界文学大系91巻は近代小説集。ペイター「宮廷画家の花形」「セバスティアン・ヴァン・ストーク」、ワイルド「ドリアン・グレイの画像」、マイヤー「説教壇から射つ」、シュトルム「北の海」、ハウプトマン「踏切番ティール」、ホーフマンスタール「騎兵の物語」、シュニッツラー「グストル少尉」、コンスタン「アドルフ」、ノディエ「アルジールの妖精トリルビー」、メリメ「マテオ・ファルコネ」、ネルヴァル「シルヴィ」、ドーデー「アルルの女」、リラダン「ヴェラ」、フランシス「赤い卵」、アーヴィング「リップ・ヴァン・ウィンクル」、クレイン「街の女マギー」。

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    ワイルド            ペイター

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     シュトルム          マイヤー

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     ホフマンスタール              ハウプトマン

サロメの踊り

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   サロメはピリポとヘロデアの娘で、ヘロデ大王の孫娘であったが、ヘロデ・アンテパス王の誕生の宴で舞をまい、王を喜ばせた。そこで、望むままの褒美を約束されたが、母ヘロデアにそそのかされて、「洗礼者ヨハネの首を盆にのせて、ここにいただきとうございます」といった。そこで王は心配したが、その誓約と列席の人々の手前、これを与えようと命じ、人をつかわして、牢獄でヨハネの首を斬り、その首を盆にのせて持って来させ、これを娘に与えると、娘はこれを母にささげたのである。

    サロメを題材にした文芸作品や映画などは多いが、とくにオスカー・ワイルド(1854-1900)の悲劇「サロメ」は有名である。なお聖書の記事では、サロメの名はなく、その出所はユダヤの歴史家ヨセフスのユダヤ古事記である。

午後から業者と打ち合わせ。ブックオフへ行く。石田衣良「約束」、大石静「四つの嘘」、江國香織「神様のボート」、里中満智子「サロメ」「蝶々夫人」、「近代劇集」「近代小説集」「現代小説集」購入。

マーク・トウェーンと旅行

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      ホッジス画  「ハックルベリー・フィンの冒険」

    ミズーリ州のフロリダに生れたマーク・トウェーン(1835-1910)、本名サミュエル・ラングホーン・クレメンスは、4歳のとき、首都ハンニバルに移った。彼は、ハンニバルの東を流れるミシシッピ川から、生涯の教訓をうけた。12歳で学校をやめ、印刷屋の小僧となった。書物が彼に無限の教育をあたえた。18歳のとき、ハンニバルをすててニューヨークへ放浪の旅に出た。やがてニューオーリンズに移り、ミシシッピ川を航行する汽船の水先案内人になった。この水先案内人の生活は、トウェーンにとっては、人生に関する大学院の研究にも等しいものであった。筆名は水先案内用語の安全水位である「深さ、2ヒロ」に由来する。

   1861年に南北戦争が始まると、南軍に参加したが、足を負傷して2週間で除隊した。トウェーンは、やがて兄とともに、ふたたび西部への放浪の旅に出た。しかし万金の夢が容易に実現しなかったトウェーンは、友人のすすめで、大衆小説を書くことになった。1866年のホノルル旅行を手はじめに、翌年には地中海や聖地に航海し、旅行中に見聞したさまざまな人間を、小説のなかにとり入れることができた。この旅行は「海外赤毛布」の出版となったが、この作品は、アメリカ文学の独立に大きな一歩を踏み出したものである。(引用文献:片岡甚太郎「玉川児童百科12」)

名調子・西村小楽天

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             西村小楽天と岡晴夫

    西村小楽天、本名・田川実(1902-1983)は東京の生まれで、子供の頃に活動弁士の西村楽天に入門。大正6年、浅草帝国館で少年弁士として初舞台を踏み、のちに松竹専属の弁士となった。映画がトーキーになってからは漫談家を経て歌謡曲の司会をした。弟子に宮尾たかしがいる。

   小楽天の独特の口調は、もともと活弁からくるもので、例えば東海林太郎の「旅笠道中」はこんな調子である。

「雲は天井の股旅者か、同じ流れの旅人暮らし、一天地六の賽の目かけて、昨日は東、今日は西、風の吹きよで心も変わる、女房泣かすは本意じゃないが、これがやくざの意地の果て、ホロリ涙を合羽に隠しゃ、風が冷たい旅笠道中。♪夜が冷たい 心が寒い 渡り鳥かよ 俺等の旅は 風のまにまに 吹きさらし」

    西村小楽天は昭和23年1月から、岡晴夫(1916-1970)の専属司会者となり、二人は名コンビとなった。

「岡の小鳩か、小鳩の岡。一世を風靡した小鳩シリーズ。感激は常に新しき思い出の名曲・啼くな小鳩よ。♪啼くな小鳩よ 心の妻よ なまじ啼かれりゃ 未練がからむ たとえ別りょと 互いの胸に 抱いていようよ 面影を」

「冬の永い国境にもようやく春が訪れようとしている。しかし、春は名のみの荒野には、まだ粉雪舞う日もあるのだった。ペチカの恋しい明け暮れではあっても、渡る風は流石に柔らかく、待望の春はもうすぐそこに。春よ春、国境の春遠からじ。♪遠い故郷は はや春なれど ここはソ満のくにざかい 春というても名のみの春よ きょうも吹雪に日が暮れて 流れはてなきアムールよ」

「晴れ渡る空にこだましてドラが鳴り、七いろのテープを切って船は行く。夢は飛ぶ椰子の葉陰の緑の島、常夏の国へ、おお、憧れのハワイ航路。♪晴れた空 そよぐ風 港出舟の ドラの音愉し 別れテープを笑顔で切れば のぞみはてない 遥かな潮路 ああ あこがれのハワイ航路」

「花の都に咲く花は うつつ夢見る恋の花 柳芽をふく銀座の街に 小首かしげて召しませ花を、ああ東京の花売娘♪青い芽をふく 柳の辻に 花を召しませ 召しませ花を どこか淋しい 愁いを含む 瞳いじらし あのえくぼ ああ東京の花売り娘」

「喜びも悲しみもともに分け合った幼馴染、三年ぶりに逢ったところは街の場末の縄のれん、思わず互いに肩抱き合った逢いたかったぜ♪逢いたかったぜ三年ぶりに 逢えてうれしや 飲もうじゃないか 昔馴染みの 昔馴染みの お前と俺さ 男同士で酒汲み交す 街の場末の ああ 縄のれん」

2009年1月24日 (土)

辻占いの美少女

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    時代劇には辻占いの少女がしばしば登場する。たとえばこんな調子。

暮れなずむ花街の辻々に提灯のあかりがともる。「淡路島、通う千鳥の、恋の辻占い」と細く澄み切った少女の売り声がする。そばに行くと少女は巻せんべいを手渡した。桜色の薄紙を開けてみると、「まってます」と書いている。

 久しぶりにブックオフへ行く。「雑学面白ことば」(三省堂)、はやみねかおる「いつも心に好奇心」、「東京ディズニーシー完全ガイド」、「太宰治全集5」、天童荒太「あふれた愛」、「カシニョール」、「和楽5月号、美術館列島ニッポン」、あだち充「陽あたり良好1、2」、「亀井勝一郎全集10」(講談社)購入。

ケペル流の買い方は、端本は気にしない。勉強用である。「亀井勝一郎全集」が100円は安い。内容は「芸術の運命」「現代人の救い」「人生論」「続人生論」「新しき人生論」「恋愛美学」「革命と恋愛」「愛の無常について」「芸術・教養・人生」「文学の読み方」。

2009年1月22日 (木)

裸体表現の自由と映画芸術

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   「ヴィーナス」  ジョルジョーネ

    人類は原始時代以来、ヴィーナス像など裸体芸術を創作してきた。とくに古代ギリシア人たちによって生み出された裸体芸術は、主に彫刻であったが、身体を幾何学的原理に基づいた完全なる美しさのヌードを創り上げ、古典古代の芸術を最高の水準にまで高めた。ちなみにわれわれ日本人は「ヌード」と聞くと、ご婦人方は顔を赤らめ、嫌らしいと感じられるかもしれないが、実は英語には、はだか(naked)と裸体像(nude)と二語は区別されており、ヌードという語は教養ある使い方をすれば、別に不快な響きを伴わないそうである。(ただし、いまだ日本で日常会話で使うのは要注意である)

    ギリシアの裸体表現は、ヨーロッパにおいてはイタリアの文芸復興期に、とくに絵画形式によって裸体が芸術の中心主題として取り上げられてきた。ヨーロッパの裸体表現は近代のルノアールの水浴などに代表されるように、今日美術館で猥褻性を指摘されることなく普通に観賞が可能である。数年前、大阪市が購入したモディリアーニの「髪をほどいた横たわる裸婦」は誘うような挑発的な裸婦の陰毛が描かれているとして、展覧会から一時撤去されたエピソードなどあるが、概ね絵画のように人物が動かないものは陰毛が描かれていても猥褻と判断されず、芸術作品としての扱いを受けるようである。ところが写真や映画となると猥褻性を指摘する人は多い。むしろ近年、性犯罪と関連づけてポルノ規制の強化の動きが目立つ。日活ロマンポルノの時代を青春だった人は巷に扇情的なポルノ映画のポスターは日常的風景だった。陰毛はタブーであったが、ボカシや黒マスクが入りながらも見ていた。平凡パンチやプレイボーイのヌードも陰毛はタブーであったが、局部を林檎で隠したヌード写真が話題になった。篠山紀信の激写もヌード写真に大きく貢献したと思う。1980年代にはビニールに入れられたビニ本が書店を賑わした。1990年代にはヘア・ヌードという和製英語も生まれ、週刊現代、週刊ポスト、ヘア・ヌード写真集などがブームになった。しかし、イメージを重視する企業側からの反発もあってヘア・ヌードは沈滞する。また1999年施行の児童ポルノ法によって未成年の裸体表現が事実上禁止された。雑誌の販売部数は激減し、映画においても女優の裸体演技はほとんど見られなくなった。1970年代スター女優のヌードは常識の感があった。「愛の嵐」のシャーロット・ランブリング、「ラスト・タンゴ・イン・パリ」のマリア・シュナイダー、「O嬢の物語」のコリンヌ・クレリー、「エマニエル夫人」のシルビア・クリステル、「続エマニエル夫人」のカトリーヌ・リベ、「青い体験」のラウラ・アントネッリ、「家庭教師」のオッタビア・ピッコロ、「甘い暴走」のジャクリーン・ビセット、「さらば夏の日」のジャネット・アグラン、「昼顔」のカトリーヌ・ドヌーブ、「茂みの中の欲望」のジュディー・ジースン、「姉妹」のナタリー・ドロン、「わらの犬」のスーザン・ジョージ、「ふたりだけの恋の島」のオルネラ・ムーティ、「欲情の島」のローズマリー・デクスター、「エヴァの恋人」のミレーユ・ダルク、「愛の終りに」のミリュエル・カタラ、「続青い体験」のクラウディオ・カッシネッリ、「危険旅行」のミムジー・ファーマー。近年亡くなった「フレンズ」のアニセー・アルビナや「ジェレミー」のグリニス・オコナーなど少女の初々しい裸体は永遠に脳裏に浮かぶ。このほかシャロン・ケリー、サンドラ・ジュリアン、クリスチーナ・リンドバークなど本格的なポルノ女優もたくさんいたであろうが品行方正な青年だったので残念ながら未見である。

   むかしフランス映画に「舞踏会の手帖」という作品があった。若い日の華やかりし頃の思い出を胸に抱き、昔の女性に会いに行く。そこで儚い人生の現実を知る。いま時代は規制の方向にすすんでいるので、かつての素晴らしい自由な時代ではない。せめてむかしの思い出を大切にしておきたい。だがこの調子でいくと近未来社会には、過去や思い出を語ることすら国家が規制する管理体制が到来するかもしれない。

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   アニセー・アルビナ

2009年1月18日 (日)

ジェマ・クレーブンの「シンデレラ」

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ジェマ・クレイブンからシンデレラの靴を見せてもらう恩田トキ子

 

  「シンデレラ」といえばディズニーのアニメを思い浮かべる方がおおいだろう。ところがシャーマン兄弟のミュージカル映画、実写版「シンデレラ」(1976)が好きだという男性が意外と多い。理由はもちろん主役のジェマ・クレーブンが可憐で美しいからである。王子様はベテランのリチャード・チェンバレンだったが、シンデレラは新人のジェマ・クレーブンが選ばれた。1950年、アイルランド生まれで当時25歳だった。シェークスピア劇団のキャリアがあるだけに張りのある美しい声が魅力的で、歌と踊りが得意。もっと映画界で活躍してほしかったが、残念なことに舞台に戻られたのでその美しい姿をみることがかなわなかった。出演映画作品は、「シンデレラ」(1976)、「ワーグナー、偉大なる生涯」(1983)、「穴」(2001)など僅かに3本ほどしかないが現在もその美しさは当時とあまりかわらないらしい。

   ところで童話の「シンデレラ」の話は、実母を早く失った気立てのやさしい娘が、のちに嫁してきた継母とその連れ子の娘に虐待されて女中代わりに使われ、粗末な服装をして火たきなどをして灰だらけらなっている。シンデレラとは灰かぶりという意味である。娘は舞踏会で王子と出会い、王子が彼女をみそめるが、娘は急いで帰るときくつを片方落としてしまう。王子はそのくつをたよりに娘を探し出し、めでたく2人は結婚する。この話は、ヨーロッパでは16世紀イタリアのストラパラロやバジレの説話集に出ているのをはじめ、おびただしい類話が各国で発見されて学者の関心をよび、1893年にマリアン・コックスが類話345を比較研究している。話として最も美しくまとまっているのはペローの「サンドリヨン」である。またこれに類似した話に、娘が醜く身をやつして家を出てさすらい、殿様の家の風呂焚きに雇われているところを若殿に見初められて結ばれる話「燈心草の帽子」(編笠)があり、こちらのほうが古い形と考えられる。その後、南方熊楠が中国の唐代にすでにこの話が記載されているのを発見(酉陽雑爼の「葉限」)、これが今までのところ最古のシンデレラの原型とされているが、話の起源はもっと古いだろう。日本でもこの話は人気があったようで、早く「落窪物語」「住吉物語」に扱われたのをはじめ、中世の御伽草子の「鉢かづき」などを経て、現代でも「お銀小銀」「糠福米福」などの話になって民間で語られている。(参考文献:「児童文学辞典」東京堂)

イエスの受洗の意義

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    イエスがヨハネからヨルダン川で受洗した事実は、最も早い伝承の伝える確かな事実の一つである。キリスト教の洗礼(バプテスマ)の制定が、イエス自身にまでさかのぼるということは、初代教会においては一致した主張である。キリスト教の洗礼は、悔い改めを要求し、水の中に完全に浸されることで、三位一体の神の名において聖霊が与えられるということであり、イエス自身の権威をかりて、「だれでも、水と霊とから生れなければ、神の国に入ることはできない」(ヨハネ3・5)といわれているように、それは神の国の一員となるためには、なくてはならない聖礼典のひとつである。

    また水の中に浸されることは、キリストの死に与(あずか)ることを意味し、そこから引き上げられることで、キリストとともに復活するという意味がこめられている。古い自分は死んで、神とキリストとを中心とする新しい自分に生まれかわる印でもある。

   初期教会の洗礼の方法については『十二使徒の教訓』に詳しく記されている。

洗礼についてそれをつぎの方法で授けなさい。そのまえになすべきことのすべてを教えたあと、流水のなかで父と子と聖霊の名において洗礼を施しなさい。泉から湧き出る水がないとき、冷水がないばあいは温水のなかで施しなさい。そのどちらも十分にないばあいは、父と子と聖霊の名において頭のうえに三度水を注ぎなさい。洗礼者、洗礼を受けるもの、それをできる他のひとも洗礼のまえに断食することが望ましい。少なくとも洗礼を受けるものにはまえに一、ニ日断食することを命じなさい。

    流水または池のなかで行う、水に浸けまた水を流してする洗礼の二つの形式は、初期には戸外で、川や海の水のなかで行われ、ついで住居のなかに移されて典礼が行われた。

向坂逸郎と三池闘争

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   いまソニー、トヨタ、いすず、キャノン、パイオニア、東芝と大手企業のリストラ、解雇の嵐が吹き荒れている。思い出すのは戦後労働運動の分水嶺といわれ、昭和35年1月から10月にかけて三井三池炭鉱で闘われた大量解雇反対闘争、いわゆる三池争議である。1278人の指命解雇に反対する三池労働者は、武装警官隊、右翼暴力団、反動的裁判、中央労働委員会のごまかしの斡旋など、独占資本と自民党政府の一体となった攻撃にたちむかい、闘った。

  がんばろう 突き上げる空に

  くろがねの男の こぶしがある

  もえあがる女の こぶしがある

  闘いはここから 闘いは今から

「がんばろう」という労働歌は、三池闘争の中から生れた。三池労組は九州大学教授・向坂逸郎(1897-1985)の指導を得て組合学習活動が盛んだった。合理化を阻止できなかったとはいえ、この闘争は戦後史の一つの頂点であった。

2009年1月17日 (土)

ファッショナブルな女優シドニー・ローム

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      ローマのスペイン広場でのシドニー・ローム。現在、階段で座り込んだり飲食は禁止されている

 

   映画「個人生活」(1974)でアラン・ドロンの相手役に抜擢され一躍スターになったシドニー・ロームは今どうしているのだろうか。今年62歳になるらしい。大きな瞳で抜群のプロポーション、「魅惑の妖精」というにふさわしい華やかさがあった。ネットで調べると「マリア・カラス最後の恋」(2005)で準主役級で健在である。ヨーロッパで活躍のベテラン女優の映画はなかなか日本で公開されないので淋しいが今も美しく輝いているのだろう。来日したときの荷物は、毛皮やドレスの詰まったトランクが多くて周囲を驚かした。生れは米オハイオ州であるがヨーロッパのエレガンスを漂わせる本物の女優である。誕生年は1946年説と1951年説があるが、おそらく1946年ではないだろうか。「電撃!スパイ大作戦」(1969)に出演しているが18歳には見えない。ほかにも「荒野の大活劇」(1969)や「欲望の館」(1972)など下積み時代を経験している。「ラッキー・タッチは恋の戦略」「危険なめぐり逢い」「ザ・ツイスト」「ポール・ポジション」「ジャスト・ジゴロ」などあるが、やはりドロンとの共演の「個人生活」が最も知られている。

おしゃれはパリで

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   名も知れぬ小さなブティックでさえ、きめ細やかな飾りつけがされているパリ。ジヴァンシー、ギイ・ラロッシュ、イヴ・サン・ローラン、ピエール・カルダン、フランソワ・バイロン、ウンガロといった有名デザイナーの豪華なドレスよりも、パリジェンヌたちは、安くて気のきいたセーターやスカートなどを小粋に着こなしています。

中条比紗也「花ざかりの君たちへ1.2」、八尋舜右「上杉謙信」、小川洋子「妊娠カレンダー」、さくらももこ「ももこタイムス」購入。

「サークル・ゲーム」をもう一度

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    ケペルがまだ高校生のとき「フレンズ、ポールとミッシェル」という映画をみた。アニセー・アルビナの幼い裸身が鮮烈な印象であった。麗しのアニセー・アルビナの近況をネットで調べると、なんと2006年11月10日、52歳の若さで亡くなっていた。「赤いポスター」(1975)ではジャン・ビゴ賞を受賞し、フランスの青春スターの地位を築いたが、残念ながら日本では未公開の作品が多かった。

    「フレンズ」(1970)の当時はまだ16歳。あまりの人気で「続フレンズ」(1973)もつくられた。少女がヌードになることは洋画でもまだめずらしかった。日本映画では1972年に由美かおるが「同棲時代」で脱いだ。街頭のポスターはあっというまに無くなった。関根恵子や秋吉久美子らも続々と美身をさらした。そのころ香港から可愛いフォーク歌手が日本デビューしている。アグネス・チャンである。1972年11月発売の「ひなげしの花」、翌年の「草原の輝き」などのヒットでまたたくまにアイドルとなった。日本ではアイドル歌謡であったが、アグネスはもともとはメッセージ性の強いフォーク歌手志向であった。香港で1971年バフィー・セントメリーが歌った「サークル・ゲーム」をカバーして大ヒットとなった。「サークル・ゲーム」は映画「いちご白書」の挿入歌だ。ベトナム反戦、学園紛争がテーマのキム・ダービー主演の青春映画。つまり平凡や明星で天地真理や麻丘めぐみと並んで笑顔をふりまいていたアグネスだが、政治性や社会的関心は本来的な資質であった。そのアグネスは今、児童ポルノの単純所持の禁止事項を法制化するための運動を積極的に取り組んでいることは周知のとおりである。ケペルはアグネス・チャンのファンだった。だが「だった」と過去形で言わざるをえない。数年前にアグネスはテレサ・テンの歌うはずだった曲を吹き込んだことがあった。テレサが最初来日のとき日本ではアグネスの人気絶頂期だったので、さっぱり売れなかった。アグネスとテレサとのそんな因縁は誰でも知っていることなので、やはりアグネスがテレサの曲を歌うことに抵抗感があった。今回の児童ポルノ禁止の運動についても正直ファンとしては抵抗感がある。アグネス日本デビュー当時、映画界ではアニセー・アルビナなどの少女ヌードが日本に大きな影響を与えたことは既に述べたが、当時の映画雑誌を所持しているケペルにとっては宝物のような写真もポルノの所持として違法性を帯びることになるであろう。芸術か猥褻かの論議ではなく、被写体が少女、児童であれば罰するという内容のシロモノである。日本人でないアグネスが国内法の改正に積極的に関与することも不自然である。性の商品化は、それを儲けとする業者を取り締まることは必要であるが、単純所持にまで及ぶということについては、同意できかねる。

2009年1月16日 (金)

タンバリンを持つ少女

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  タンバリンを持つ少女  コニンク

   1984年、神戸オリエンタルホテルで190万円で売られていた絵画である。いま誰の所蔵であるかわからない。18世紀から19世紀のフランス絵画はまだお金に少し余裕のある人は購入できた時代だった。ピエール・ルイ・ジョゼフ・ド・コニンク(1828-1910)については19世紀フランスの歴史画、風俗画家であったこと以外は何もわからない。ただ少女の瞳が麗しく、好ましい容貌である。

ラルフ・イーザウ「ファンタージエン 秘密の図書館」、ショーン・ヘツプバーン・フェラー「AUDREY HEPBURN母、オードリーのこと」、「ゴッホ展2002」、クリス・スカー「ローマ帝国」、「はじめての育児」、「18-19世紀フランス絵画展1984」購入。

2009年1月13日 (火)

平成生まれのヒロイン誕生

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   先日NHKBS「蔵出し劇場」でレッツゴーヤングの再放送を見た。1981年のもので太川陽介、石野真子の司会の頃である。お目当てはもちろんサンデーズで松田聖子、倉田まり子、浜田朱里、佐藤恵利がいた。なかでも佐藤恵利は山口百恵に似た感じの女の子でケペルのお気に入りだったが、あまり人気が出ずに消えた。しかし今も時代劇の脇役で元気に女優を続けているらしい。アイドルから女優へ転身する人は多いが地味で息の長い俳優人生もまたいいだろう。これと対象的なのはNHK連続テレビ小説のヒロインだろう。「うず潮」の林美智子、「おはなはん」の樫山文枝、「旅路」の日色ともゑ、「繭子ひとり」の山口果林、「藍より青く」の真木洋子など初期の頃は新人女優の登竜門といわれた。朝ドラのヒロインが国民的女優として民放のトレンディー・ドラマや映画に出演してトップ女優として成功する例は最近でも健在である。松嶋菜々子、竹内結子、池脇千鶴、石原さとみ、宮崎あおい、榮倉奈々などを輩出している。近年は無名の新人ではなく相当なキャリアと実績のあるスター女優がヒロインとなるケースが目立つ。3月30日から放送の「つばさ」のヒロイン多部未華子の場合はどうだろう。すでに2005年にブルーリボン新人賞を受賞し、「山田太郎ものがたり」「鹿男あをによし」「ヤスコとケンジ」とドラマで活躍しており、若い人の間ではかなりの知名度のある若手女優であるが、国民的知名度はいま一歩のところであろう。加えてここ数年、朝ドラの視聴率はかつての勢いはなく、低視聴率に悩まされている。多部ちゃんファンにとっては毎日会えることはうれしいが、女優としての真価が問われるだけに少し怖い気がする。平成生れのヒロイン誕生に期待したい。

美人局

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  むかしある県で警察官の採用試験に美人局という問題を出したところ「電話交換局のこと」と答えた者が四五人もあったという。なるほどかつては会社や役所でも狭い部屋に何十人もの電話交換手の若い女性がいて、そこを覗くのが楽しみであった。美人局(つつもたせ)とは、夫のある女が夫となれあいで他の男と姦通し、姦夫から金銭などをゆすり取ることである。

   「美人局」の文字は「武林旧事」などに見えて、中国の元の頃、娼妓を妾と偽って少年などをあざむいた犯罪を「美人局(びじんきょく)」と言った。この文字に「つつもたせ」という語を充てたのである。「筒持たせ」は、もともと、博徒の言葉で、にせ物をつかませて詐欺をすることをさす。空洞の筒を中身のないにせ物と見立てたものであろう。筒は男子の性器を意味するとの説もある。

    落語の噺で、金に困った夫婦が「つつもたせ」を計画する。妻が色仕掛けで男を引っ張り込み、いざというところで、夫が飛び出して「間男見つけた、そこを動くな」と言って、金をゆすりとろうとというのである。そして、実行するのだが、夫が飛び出して「間男見つけた」というところを、「つつもたせ見つけた」と言ってしまう。

2009年1月10日 (土)

ひとり好き

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  宮本武蔵の「独行道」のなかの一条に「我事に於て後悔せず」という言葉がある。人は重大な選択の際に、「後悔したくない」と思えば、選択に迷う。「後悔しない」と決意することが大事だ。後悔せず、自分の選択を信じて生きる。たとえ一時的に悪い結果になったとしても、それをいい経験として生きる。自分の選択を今後に生かして生きる、という事が大事ではないだろうか。

    4月から開店する「女性の書斎」の準備で、来週から業者と看板の打ち合わせをする。屋号はこれまで「ひとり」というシンプルな名称を考えていた。読書は個人的な営みであることから「ひとり」を選んだ。読書空間という静寂さを維持したいという想いもある。これば残念ながら女性はおしゃべりが好きなで無理なことかもしれない。ただし、「ひとり」という、ぽっつんとした響きは、淋しすぎるような気がしていた。そんなとき、今日、復活書房で「ひとり好き」という詩集が眼にとまった。なにやら、神のお告げのようだが、屋号を「ひとり好き」にする。

「韓国ドラマ創作劇場」、葉祥明「ヒーリング・キャット」、「フレフレ少女1」、「もっと触れたいペ・ヨンジュンの秘密」、八幡薫「ヨン様道」、「ヨン様の作り方」、伊東友香「寂しがりやのひとり好き」、「山田南平画集」購入。

2009年1月 8日 (木)

鳥羽城主・九鬼嘉隆

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  答志島には九鬼嘉隆の首塚と胴塚がある

    九鬼嘉隆(1542-1600)は、織田信長の伊勢攻略に降伏し、信長の水軍の将として活躍した。天正6年、木津川口において毛利水軍の糧船600艘を大砲を積んだ戦艦6艘で追いはらった。豊臣秀吉にも仕え、四国征討、九州征討、朝鮮の役に参陣した。しかし関ヶ原の合戦では西軍につき敗れて、鳥羽湾に浮かぶ答志島で自刃した。

2009年1月 5日 (月)

消えた「最後の授業」

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    フランスの作家アルフォンス・ドーデ(1840-1897)の「最後の授業」は、かつて小学校・中学校の国語の教科書の定番教材だった。しかし、昭和56年に田中克彦から以下のような指摘がなされた。①アルザスは元々ドイツ語地帯で17世紀の30年戦争後にフランス支配下に入った②アメル先生は国語であるフランス語を話せないアルザス人にフランス語を教えるために来たので、いわば、朝鮮に日本語を国語として教えた日本人教師と同じ③ドーデはフランス語の優位を宣伝したにすぎない④フランスは第一次大戦後アルザスを奪還したが、現在にいたるまでドイツ語に近い土着語が使われている

   以上などの点から「最後の授業」は史実をゆがめた物語であり、教材としてふさわしくないと批判した(「ことばと国家」岩波新書)

   ドーデの「最後の授業」は『月曜物語』の一番初めにある物語で既に明治期から翻訳されていた。昭和2年に教科書に登場し、戦後の一時期、「最後の授業」は消えたが、昭和27年から再登場したが、昭和61年から教科書には採用されていない。つまりおおよそ30歳前後で「最後の授業」を知っている世代と知らない世代に分けられるであろう。ケペルも小学生時代に熊田ミドリ先生から教わったことを鮮明に覚えている。その頃、なんでもわからないことは質問するように指導されていたので、小学生のケペルは勇気をもって質問した。終りの部分でアメル先生が黒板に「フランスばんざい」と書き、フランツ少年はそのときアメル先生の姿がいつもより大きくみえた、とある。そこで「なぜフランツは先生の姿がいつもより大きくみたえのでしょうか?」と質問したところ、熊田先生は「いい質問ですね」と大そう感心なさった。では「わかる人」といい、優等生の山口君が答えた。そういった小学校の授業風景まで思い起こしてくれる理想的な教材なんだけど、田中克彦の意見を覆すことはできない。また戦時下、中学校の授業で皇民教育の洗礼を受けた体験の方からは、この教材になんとなく胡散臭さを感じたという人もいる。

    だがこのドーデ「最後の授業」問題は、バンナーマンの「ちびくろサンボ」を批判した事例に類似するような要素が感じられる。「ちびくろサンボ」は紆余曲折をへて現在、オリジナルな形の絵本が多くの公共図書館では開架室に並んでいる。もちろん『月曜物語』は、今日いつでも容易に読むことができる本である。ただ教科書から消えたというだけである。しかし、名作とか古典といえども、著作物には時代背景や成立事情があり、完全無欠のものなどはありえない。ほぼ50年以上もわが国の国語の教科書に登場した教材が抹殺されてしまったのであるが、国際社会の現在、むしろそういう問題点に着目して、積極的に民族や言語などの多様性を考えるために、高校生の社会科の副教材として扱うことは、若い人たちに多くの示唆を与えるものになるのではないかと考えている。いまアルザス地方の小学校ではフランス語、ドイツ語の両方をならい、EUでパスポートなしで加盟国の人々が自由に行き来できる。

2009年1月 4日 (日)

長尾よねの写真

   ブログ記事「児島喜久雄と長尾よね」に寄せられたYousukeさんの情報から、今日、本屋で「週刊新潮1月1・8日新年特大号」を買いました。びっくり仰天、スゴイ写真ですね。近衛文麿の孫娘・山本斐子の隣にいるのが長尾よね(1890-1967)だとすると、昭和18年当時52歳。女傑というイメージがあったが、小柄で若くて美人ですね。なぜ長尾よねが近衛家に出入りするようになったのは謎です。長尾よねは私生児ですが、元宮内省大臣・田中光顕(1843-1939)の養女になっています。田中は明治天皇の信頼が厚く11年間も宮中で絶大な勢力をもっていた。ところが明治42年1月、65歳の田中と19歳の町娘との縁談が話題となったが、娘が仲介者・金杉英五郎の情婦だったことから「宮内相の醜聞」と新聞に書き立てられ、周囲からの反対もあって破談となり、宮内大臣も辞任した。以後も田中は97歳まで長生きするが、美人の長尾よねと何時、どのようにして知り合いになったかは不明である。なお破談となった娘の名前は小林孝子という。昭和5年に山西健吉著「小林孝子懺悔秘話」(資文堂書店)という本まで出版されている。ともかく長尾よねは田中光顕の後ろ盾があって、宮中の要人と関係を結んでいったことだけは間違いない。

   それにしてもこの写真、どういう人の集りなのかわからないが、不気味な感じがする。昭和18年といえば、そろそろ戦局悪化の情勢、こころなしか皆の表情も暗いように思える。

ティッシュ・ペーパーは貰う

    街角で配っているポケット・ティッシュ。意外ともらわない人が多い。恥ずかしいから、邪魔になるから、理由は人それぞれにあるだろうが、ティッシュは日常役立つものなので、ケペルはもらうことにしている。先日、通勤途中で急に便意をもよおし、駅のトイレに入ったとき、貰ったティッシュがたいへんに役立った。やすし・きよしの漫才ネタ「汝、神(紙)にみはなされたら、我が手で運(ウンコ)を掴め」という古いギャグを思い出し苦笑した。

    坂東眞理子「女性の品格」は数年前、ベストセラーとなり、いわば現代版「女大学」のような女性の修身書である。初めにお断りしておくが、とてもイイことが書いてある本である。女性の品格と限定しているが、基本的には男女共通することは多い。ただ本書の一項に「無料のものはもらわない」とあるのが気になる。

「駅や盛り場を歩くと、消費者金融やデートクラブのテッシュペーパーがいくつも手渡されます。シャンプーや化粧品のサンプルをもらうときもあります。配っている人はアルバイトで早く配らなければならないから、もらってあげたほうがよい、会社もそのために配っているのだから、せっせともらいましょうという考え方はあります。でもこうした無料のポケットテッシュをたくさんためているのはあまりかっこうよくありませんし、特にテレフォンクラブや消費者金融のようなスポンサーのモノは、できるだけもらわないように気をつける、本当に自分で使おうと思わないメーカーのシャンプーや化粧品、食べてみようと思わない食品の試供品には手を出さないようにしましょう。何でももらえるものはもらっておこうというのはちょっと卑しく、品格をなくします。自分の基準で取捨選択し選ぶと身の回りもすっきりします。(中略)なんでももらうのではなく、ノーと言う勇気をもちましょう。

  「女性の品格」というタイトルながら、「はじめに」で断わっているように男女を問わず品格は共通する。つまり「なんでも貰わない」「断わる勇気を持つ」ということは、男女共通する品格ある行動である、と坂東はいう。街頭での政治的なビラ、チラシや署名活動などには触れていないが、おそらく貰わない、断わるであろう。この本から多くの点は示唆に富むことも多いし、自分の行動規範としている事柄が網羅的に書かれているのだが、ティッシュやビラは貰わない、という点には異論がある。おそらく坂東眞理子はキャリア官僚なので街頭でビラ配りをした経験はないのだろう。ティッシュやビラを断わる行動で、「勇気をもちましょう」ともちだすのは、「勇気」の語の使い方が間違っている。若い女性がティッシュを配っていて、「ありがとう」と一言といって受けとるほうがカッコイイと思う。

   家電の広告で先着何名様に、茶碗や皿を無料で進呈とあれば、早朝から大勢の人が並ぶ。坂東はそれらの人を「品格のない人」と見下げてみるのであろうが、ケペルは庶民のバイタリティとみたい。品格をことさら強調することが、ケペルの肌にあわないのだろう。品には上品と下品がある。上品は貴族的であり、下品は庶民的である。「無料のものなら何でも貰う」という行動は下品かもしれない。でも貧乏人にはティッシュ一つでも生活費の節約になるはずだ。下品でもいい。所詮、庶民は庶民、貴族のマネをしても無理だろう。タダなら貰え。品格なんて糞食らえ!

    むかし家庭で聖書研究をしていて、あるクリスチャンに街頭でのティッシュを貰うかどうか、だずねたとき、「貰います。生活で役立つから」という明快に答えをもらった。つまり「タダのものを貰うのは卑しい」とは人倫の道ではなくで、貴族階級的なモラルのような気がする。倫理、道徳の徳目で品格を強調することは適当ではない。江戸の豪商・河村瑞賢は、精霊流しで捨ててあったナス・キュウリを拾って漬物屋で成功したのが第一歩だった。現代であれば食品衛生上問題があるのでこの逸話は子ども向けではないが、戦前の修身の教科書に載っていたと思う。多くの日本人がこの行為をお手本とし、河村瑞賢を品格のない人とは誰も思わなかっただろう。

2009年1月 3日 (土)

日本映画と韓国映画の接点

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  檸檬のころ(2007)

    「八月のクリスマス」のホ・ジノ監督の新作「幸福」の評判がいいらしい。まだ見ていないので何んとも言えないが、あるブログ記事によると犬童一心監督の「ジョゼと虎と魚たち」(2003)に共通するものがあるという。ホ・ジノといえば小津安二郎監督に影響されたとはよく聞くことであるが、映像クリエーターが外国映画から何らかの刺激をうけることは近年とくに多いと思う。21世紀になって韓流ブームとともに日本映画も元気さを取り戻しているようにみえる。ここでは若手女優に注目してみる。昨年、「篤姫」の宮崎あおいがブレイクしたがその前兆は数年前から見えていた。宮崎の場合は映画出演が多くてドラマ出演は少なかった。蒼井優と共演した「害虫」(2001)をはじめ「好きだ」「初恋」「海でのはなし」(2006)「初雪の恋ヴァージン・スノー」(2007)「陰日向に咲く」(2008)多数の出演映画がある。若いながらも相当演技者としての実績を積んでの「篤姫」出演だったのだ。宮崎あおい(23歳)を筆頭に、蒼井優(23歳)、上野樹里(22歳)、堀北真希(20歳)、榮倉奈々(20歳)、谷村美月(18歳)など続々と若手女優の主演映画作品が制作されるようになっている。とくに上野樹里の「スウィングルガールズ」(2003)や蒼井優の「フラガール」(2006)のヒットは大きな契機となった。

    話を元にもどすが韓国で一番好きな日本映画は中山美穂主演の「ラブレター」(岩井俊二監督)であった。ある韓国ドラマを見ていると「知っている日本語は?}と訊ねると、「オ・ゲ・ン・キ・デ・ス・カー~」というシーンがあった。「ラブレター」のヒットはかなり昔の話だが、「ジョセと虎と魚たち」が何故韓国で受けたのは、理由はあまりわからない。妻夫木聡、池脇千鶴主演であるが、珍品に属するかもしれないストーリーだ。ただ言えることは、21世紀に入って映画人は、意識するしないにかかわらず、何らかの形でアジア映画という共通項が鮮明にでてきたことである。逆に言うと、脱ハリウッドという色彩がではじめたような気がする。

2009年1月 1日 (木)

雪舟と山口

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    雪舟等揚 「四季山水図(山水長巻)」 晩秋

    如拙、周文に学び、入明して画人として自信をもった雪舟(1420-1506)は、宗湛のあと幕府の絵師になることをすすめられると、「金殿の絵は僧の筆に適せず」と辞退し、狩野正信を推したという。帰国後の雪舟は豊後の天開図画楼、周防の雲谷庵にとどまり、この時期に大作「四季山水図」(山水長巻)を描いた。以後永正3年に87歳で没するまで、主として山口の雲谷庵で制作に励んだ。雪舟を山口にひきつけたのは、大内氏の文化的雰囲気であったろうか。毛利博物館には雪舟の名品「四季山水図」(国宝)がある。

新年の誓い

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   新年明けましておめでとうございます。今年も皆様にとって良い年でありますように。昨夜の紅白歌合戦は白組の圧勝に終りました。ケペルはもちろん紅組を応援していましたが、どうやら現行のシステムでは熱狂的なジャニーズファンや氷川きよしファンがいるため、白組の有利は今後も続きそうです。注目の森進一「おふくろさん」や大トリの氷川きよしの感激の涙など話題性が白組の勝因でしょうか。ともかくも歌の力で希望と勇気を与えてくれた出場全員の歌手の皆さんに感謝いたします。

   「一日の計は朝にあり、一年の計は元旦にあり」といいますが、今年は、自分にとっては独立開業の年、まず規則正しい毎日の生活をおくることを誓い、朝の早起きを心がけたい。元旦は午前5時半に起床。「一日の生活は、朝が勝負だ。毎朝、元気におはようございます!とあいさつする姿が大切である。まず人生、朝に勝つことが勝利の基(もと)である」とあります。(池田大作「女性に贈ることば365日」海竜社)

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