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2008年12月11日 (木)

古畑鑑定と科学捜査の信頼性

    化学や血液鑑定などの科学的な方法で犯罪捜査をすることを科学捜査という。我が国では東京大学教授の古畑種基(1891-1975)が法医学の草分けとして知られ、かって「古畑鑑定」には絶対的な信頼性が存在した。しかし古畑の死後、弘前事件、免田事件、財田川事件、島田事件、松山事件などについて、古畑鑑定はことごとく間違っていたことが明らかとなった。東大の権威と科学的という信頼性に基づく鑑定であったが、今日では専門家から多数の疑義が上がり、一部には捏造も指摘されているという。

    帝銀事件について化学屋さんから興味ある新刊書のご紹介のコメントをいただいたが、残念ながら未読で申し訳なく思っている。ただし、戦後の一時期、警察の捜査は犯人をでっち上げるためには証拠の捏造などは平気でやったことは事実であろう。そして帝銀事件にも関与している古畑鑑定というのは、つねに警察よりのものであったことは言うまでもない。文化勲章を受章した東大名誉教授であるが、無実の冤罪者の苦しみを知らずに死んだエリートの人生もまた悲しいものを感じる。

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「日本史」カテゴリの記事

コメント

記事興味深く拝読しました。古畑氏の評価について小生は少々違う意見です。古畑氏の分析方法や精度を今日の法医学レベルから見て劣った部分があると指摘するのは簡単でしょう。今日の法医学の技術が半世紀後にどう評価されるか想像すればわかることです。しかし、下山事件の際、助手をしていた矢田喜美雄が他殺か自殺か判断を急ぐのを、生体轢断か死後轢断かを判断するのが法医学であると、たしなめたエピソードからわかるように、古畑氏は実に科学者的態度を有し、有罪・無罪の最終判断を法医学の所見だけで決めるようなことは人ではなかった。むしろ、一連の冤罪事件の根本の問題は、法医学の所見や自白など(もちろん捜査当局による証拠捏造などは論外として)、特定の要素だけを根拠に有罪・無罪を判断した捜査及び司法システム全体の問題ととらえるべきで、冤罪の責任を法医学者個人に負わせるのは論理のすり替えだと思います。昨今、原子力発電所や列車の事故が起きるたびに、その原因として技術者や運転手個人の精神状態やミスが理由として発表されます。その時々の一個人のミスや精神状態で安全性が左右されるのなら、むしろ発電所や列車運行の安全管理や運行システム全体に問題があると考えなくてはならないのに、個人の問題にすりかえて組織が責任逃れをして済ませている例だと思います。古畑鑑定の評価にも同じような構図を感じます。長文失礼しました。

ご意見ごもっともなことで、まことに感服の至りです。

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