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2008年12月11日 (木)

石原莞爾とライカ

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   「カメラには二種類ある。すなわちライカとライカ以外のカメラだ」

   ライカは1913年にドイツのエルンスト・ライツ社の映画撮影機の設計技師オスカー・バルナック(1879-1936)が制作した映画撮影時の露出を決める試し撮り用カメラ「ウイル・ライカ」を原型とする小型カメラ。1925年4月、35ミリのフィルムを使用する小型カメラ「ライカⅠ(A)型」が発売されたが、ドイツでもまだ誰も見向きもしないカメラだった。

   ナポレオン1世とフリードリッヒ大王の研究のためドイツに留学していた陸軍軍人・石原莞爾(1889-1949)は、帰国間近になったこの年の8月、行きつけの写真店フォト・ザクセンに立ち寄った。そこでライカを見つけた。石原は、一目でこの新型カメラが気に入った。だが店員は「お求めになるのは見合わせた方がいいですよ。このカメラは距離計を売るために作られたもので、大したものではありません」という。それでも石原は購入した。帰国して石原が持ち込んだカメラが日本でのライカ第1号だった。

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「日本史」カテゴリの記事

コメント

東條英機ではなく石原莞爾が軍部を掌握していたら、日本の戦争はキズの浅い内にとっとと早く終わっているか、戦後もずいぶん変わっていたのでは。合理的な頭脳の持ち主だったようですが、日本のライカユーザー第一号とは知りませんでした。何を撮っていたんでしょうね。川端康成も知られざるコンタックス愛好者だったと美術雑誌で知って、そのスナップのセンスに舌を巻いた覚えがありますが‥‥写真を見ると撮り手の内面がよく分かります。有名な写真家立木義浩氏も「写真には撮ったその人が写る」とよく言いますが、いよいよ石原の撮ったライカフォトを見てみたくなりますね。

コメントありがとうございます。小型のライカは携帯に便利なので何でも撮ったようですね。何故か「アヒル」を撮るのが好きだったという話もあります。「アサヒカメラ」に何度も入選しているので芸術的センスもあったのではないでしょうか。写真史にも詳しい阿部博行が「石原莞爾 生涯とその時代」を法政大学出版会から刊行していますが、本書の下巻で石原の趣味の写真についても論じているそうです。

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