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2008年12月13日 (土)

伝説のセックスシンボル・ベティ・ペイジ

   第二次大戦中、米軍兵士たちに一番人気のあった女優はベティ・グレイブル(1916-1973)であった。その後、ジェーン・ラッセル(1921-  )やマリリン・モンロー(1926-1962)が登場して、いわゆるセックス・シンボルとして人気を集めた。モンローの全盛期にモンローに匹敵する人気があり、黒髪でボンデージやランジェリー、そしてキュートな笑顔で、裏マリリン・モンローと呼ばれたベティ・ペイジ(1923-2008)が85歳で亡くなったことが大きく報道されていた。ベティは7年間活躍したが、ある上院議員のポルノ追放キャンペーンのため、表舞台から姿を消した。しかし1978年頃からベティの再評価が起こり、近年ではメアリー・ハロンという女性監督によってグレッチェン・モル主演で伝記映画が製作され、その名前は再び世に知られるようになった。映画公開当時、日本でベティ・ペイジの写真を調査研究しようとしたところ、日本の公共図書館にはほとんどベティに関する資料を所蔵するところが無かった。マリリン・モンローの膨大な情報量に比べ、ベティに関する資料の少なさに日本の図書館の選書に疑問をいだいたものである。

   日本では、日活ロマンポルノの衰退以後、映画や図書に対する規制は社会的に強化される傾向にあるといえる。しかし性風俗に関する著作物の蒐集保存は、これまで軽視されがちであるが、公的な保存機関である図書館に期待することはほとんど不可能なため、個人的コレクションの対象としては「稀少性」と「再評価の気運がある」ことからも文化史的価値は高いものがある。江戸の浮世絵版画が高価なのと同じであろう。最近、ポルノなどを規制する法律を強化する動きがあるようだが、個人的に所有することまで規制することには、少なからず疑問をもっている。

    1950年代、マリリン・モンローは日本でもすごい人気であった。その出演作品の多くは話題となり、今日でもDVDで見ることができる。モンローのほかにもダイアナ・ドース、ジェーン・マンスフィールドなどお色気女優が映画界に現われた。だが、ピンナップ主体であるベティ・ペイジのことは日本の芸能雑誌で紹介されることはほとんどなかったであろうし、プレイボーイ日本語版は当時まだ無かったので知られることはなかっただろう。その頃、初期のプレイボーイ誌を輸入して購読していた日本人はどれくらいいるのだろうか。ベティ・ペイジよりもむしろエレン・ストラットン、リサ・ウィンターズ、リンネ・ナネット・アルストランド、マリリン・ワルツ、マーガレット・スコット、ジャッキー・レインボウ、アーリン・ハンター、マルゲリーテ・エムビー、アン・フレミングなど初期のプレイメイトの名前が残されている。

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