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2008年12月 8日 (月)

仁科芳雄と石原純

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アインシュタイン来日の記念写真/アインシュタイン夫妻を中心に、穂積陳重、岡野敬次郎、長岡半太郎、北里柴三郎などがみえる

    益川敏英、小林誠、南部陽一郎(欠席)の3人がスウェーデンのストックホルムで10日、ノーベル物理学賞を受ける。朝日新聞朝刊によると、日本理論物理学の源流は仁科芳雄(1879-1955)にあるという。仁科は昭和6年春に京大で量子力学の特別講義をした。聴衆の中には20代の湯川秀樹と朝永振一郎がいた。湯川の精神は坂田昌一、益川敏英、小林誠らに受け継がれる。一方、朝永のもとには、東大の木庭二郎、西島和彦、山口嘉夫らが学んだ。その系譜は南部陽一郎、小柴昌俊、戸塚洋二に受け継がれる。また阪大の菊池正士の流れは熊谷寛夫、西川哲治に受け継がれている。

   だが日本の物理学ブームの発端はアインシュタイン(1879-1955)来日にある。大正11年、改造社の招待でアインシュタインは日本を訪れた。日本への航海中、船上でノーベル賞の受賞の知らせを受け、このことは日本にも伝えられ、アインシュタインの各地での講演は大盛況となった。11月19日、慶大講堂での「特殊および一般相対性理論について」の講演を皮切りに、仙台、名古屋、京都、大阪、神戸、福岡など会場は聴衆で溢れた。ちなみに、通訳は石原純(1881-1947)がつとめたが、難解な理論をだれにも理解できる言葉で伝える、見事な通訳だった。前年、原阿佐緒との恋愛事件で失職していた石原の学者人生は総じて不遇だったといえるが、日本の理論物理学の発展に影で支えていた。

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