長塚節と黒田てる子
ブログ記事「長塚節、愛と死を見つめて」(2007.6.25)の文中、黒田てる子の没年を誤記したために、いろいろご迷惑をかけたようです。正しくは、昭和37年7月24日没で、享年72歳です。出典は、石川義雄「長塚節と神田(下)」(日本古書通信第46巻第11号、昭和56年11月15日)、8~9頁です。長塚節の関係文献は多くても、黒田てる子の晩年を記述した文献はそうそう見当たらない。石川は黒田てる子の令息石田詮に面会し取材しています。黒田てる子の日記の最終頁に「亡き影に叫びて冷し夏木立」の一句がポツンと書き残されており、「それがいかにも意味シンである」と書いている。
晩年の母は、ある意味ではすべての責任を果し、亡父(石田貞一郎への義務感からも解放されていたようで、長塚氏にいだいた母の慕情がどのようであったか、また長塚氏がそれにどのように応えていたか判るような気がします。
石田詮は晩年のてる子についてこのように語ったという。それにしても長塚節とてる子の愛の物語は美しい。
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