平泉澄「少年日本史」
海軍少尉 黒木博司
ケペルは少年時代、歴史物語が好きで中村孝也(1885-1970)の本を愛読していた。友人にはだいぶん非難されたが、ケペルはいまも好きで大切に所蔵している。しかし平泉澄(1895-1984)の「少年日本史」(時事通信社)は少し難解だったので読むことができなかった。大人になった今でも読むには骨が折れる。しかし南北朝の時代など流石に詳しくて参考になるところが多い。つまり、中村孝也や平泉澄は戦後も子供向けの歴史書を執筆し、かなりの影響力を与えていたのである。
ただ残念ながらケペルの読書力では「少年日本史」を読破できなかったので、最終章「大東亜戦争」を読まずに終った。いま拾い読みして驚いた。なんと特攻の兵器である人間魚雷回天の話で締めくくっている。黒木博司(1921-1944)は回天の創案者だが、平泉澄の教え子だという。やはり皇国史観の歴史家にとって、憂国の至誠の教え子の死が強烈なものであったのだろう。もちろん後の世代の者たちが、偏狭な国家主義、危険思想、軍国主義者、クーデターが起こる、などといくらでも批判することはたやすいことである。だがその時代を生きた個人の真摯な声に耳を傾けることも必要だ。何故かウィキペディアの黒木博司の項目は詳細である。伝記も多数出版されている。黒木が指を切って血書した幕末の志士・佐久良東雄(1811-1860)の歌が「少年日本史」の末尾に掲載されている。
皇(きみ)の為 命死すべき 武夫(もののふ)と なりてぞ生きる 験(しるし)ありける
佐久良東雄は、桜田門外の変で大老井伊直弼を襲撃した水戸浪士をかくまったとして囚われ、「徳川の粟を食わず」と獄中で絶食死した志士・歌人で戦時中は広く知られていた。
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