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2008年11月14日 (金)

新薬ペニシリン

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  森永三島工場でペニシリンを培養

   第二次大戦中、戦死した兵士の直接の原因は銃弾によるものよりも、負傷による破傷風などの細菌感染で命を落とすことのほうが多かった。そのため、細菌を殺すことのできる新薬の研究が急務であった。現在、広く治療に用いられる抗生物質ペニシリンは、イギリスの細菌学者フレミングによって発見された。1940年になってアメリカで抽出法があみだされ、1943年から大量生産が始まったが、当時はペニシリンは高価で入手しにくい薬だった。

    韓国ドラマ「クッキ」(1999年)は戦後のお菓子職人クッキの波瀾万丈の人生を描いたドラマであるが、前半部分に「ペニシリン」の話が登場する。韓国独立運動の闘士ヨンジェ(クッキの父)とチェ・ミングォンが日本軍の病院からペニシリンを得る場面がある。当時の日本軍はペニシリンを瓶の中で培養できるため、牛乳プラントの設備で転用できた。昭和19年12月に、日本初のペニシリンの製造が森永三島工場で開始された。ペニシリンは敵国語であるため「碧素(へきそ)」と呼ばれた。チェ・ミングォンが奪ったペニシリンは、おそらく森永製薬の碧素だったのだろう。

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