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2008年11月17日 (月)

ああ、拝啓カアチャン俺は行く

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                  大東亜の共栄双六

    ある新聞に若い女性教師の投書が載った。新しく赴任した小学校のそばに自衛隊の演習場があった。戦車が走り、迷彩服の隊員が見え隠れする。教育の場にはふさわしくないと感じた彼女は「子どもに戦車なんて見せたくない」と率直な感想を書いて話題となった。だが戦後60年が経過すると、実際には国民の多くは自衛隊容認派が増えてきているという。海外派遣や人道支援、阪神大震災をはじめ災害のたびに派遣される自衛隊の活躍も影響しているかもしれない。

  今回の田母神俊雄の論文「日本は侵略国家であったのか」が政府の見解(村山談話)と異なる内容であることで大きな問題となったが、国民に自衛隊そのものの印象がどのように変わったのかという正確な調査やデータはまだ知らない。だがブログなどを読むと田母神の堂々とした発言態度から、すべての国民は日本のことを真剣に考えていかねばならないと感じた人が大勢いるということだけは明らかである。

    「正しい歴史認識を持とう」という論議であるが、歴史学者と一般庶民とでは歴史認識には違いがあるのを感じる。マスコミもミスリードしているように見える。戦後から10年、20年経過したころは、まだ軍隊経験者が多かったので、生々しい記録や問題意識のあるものが多く生れた。野間宏「真空地帯」や大岡昇平「俘虜記」「レイテ戦記」、テレビドラマ「私は貝になりたい」など多数の作品があろう。だがこのような文芸作品よりも、一般大衆はもっと軍隊コメデイを娯楽として楽しんでいた観がある。梁取三義の「二等兵物語」や棟田博「拝啓、天皇陛下様」「拝啓カアチャン様」、前谷惟光「ロボット三等兵」など挙げてみても、映画、テレビ、漫画などの世界では軍隊生活を揶揄した喜劇調のものが多い。つまり被害者意識はあっても、アジア諸国への加害者意識は希薄なところがあった。家永教科書裁判(1965-1997)あたりから、日本の戦争責任が自省されるようになってきたといえる。

   子どもたちの学習で平和教育というのがある。残虐な場面を見せ、多くの人々が戦争で死んだことを教え、戦前の日本は悪いことをしたという気持ちを持たせるだけで終ることがおおい。こういった教育で育った戦争を知らない世代は、田母神論文問題の報道記事を読めば「許せない」の大合唱をする。このような表面だけしかみない平和主義者たちが確実に増えてきたが、彼らは自分たちの偏狭な正義感に満足しているだけではないだろうか。もっと戦前社会を理解させる教育が必要である。

   ようやくPDFで田母神論文を読んだが、読後感は爽快であった。「国益を損なう」とか「日本がおかれている国際的政治的状況を考えろ」とか識者の批判はあるだろうが、ケペルとしてはそこまで考慮できる立場の人間ではないので、むしろ自衛隊のトップとしては当然の意見のように感じる。冒頭でアメリカ軍の駐留のこともふれており、短い文章の中に必要なことが要領よく盛り込まれている。愛国者ならではの憂国の至誠が自然に感ぜられる。いかにも軍人らしい文章もみられるが、それが即クーデーターに直結するようには感じられない。誇りある日本人として言うべきことを堂々と書いたまでであろう。

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