空幕長論文問題とトンデモ本
朝日新聞2008.11.13付「私の視点」で空幕長論文問題で三人の識者、北岡伸一、唐沢俊一、志方俊之の論説が掲載されている。なかでも唐沢俊一の「陰謀論にはまる危うさ」が図書館員としては気にかかる。肩書きによれば唐沢は「と学会」会員であるという。「世の中には荒唐無稽な主張を展開するトンデモ本があれている。私は、トンデモ本を研究すると学会会員として、数多くのトンデモ本を読んできたが、田母神論文にはトンデモ陰謀論の典型的なパターンが表れているように感じる」と書き出しの8行を引用すれば、論文の趣旨はだいたいおわかりいただけると思う。このブログでも「孝明天皇は毒殺だった」「明治天皇は替え玉だ」「広開土王は仁徳天皇だ」などドンデモ論を過去記事にしている。歴史の世界でいえば、江上波夫の騎馬民族征服説は学校の授業ではトンデモ論として扱われてきたが、ケペルはかなり信憑性の高い学説だといまでも考えている。結論的にいえば、唐沢俊一の意見には全く反対である。「トンデモ本」の定義自体あいまいであるが、擬似科学だけでなく、最近では皇国史観の本やそれなりにマジメに書かれた本などもさすようである。だが「トンデモ本」というふざけたネーミングで、ラベリングすること自体問題であり、言論の自由を損なうものである。図書館の世界ではよく知られ事件であるが、船橋市立西図書館で女性司書が個人の判断で特定の図書107冊を廃棄して問題となった。特定の図書とは西部邁の本が36冊、渡部昇一の本が22冊である。いわゆる扶桑社の新しい歴史教科書をつくる会とか自由主義史観研究会、藤岡信勝、産経新聞社、日本文芸社、ワック、二見書房など一般によく流通している近現代史の歴史読物の類である。自分の家の蔵書の中からこれらの本を何十冊さがすことも容易である。ブックオフ100円で売られているからだろう。藤岡信勝「教科書が教えない歴史」、「渡部昇一の昭和史」など中味は田母神論文と共通している。ところで船橋の女性司書が何故これらの特定の本を除籍したのか、詳しい動機はわからないが、おそらく唐沢のいう「トンデモ本」であるという認識があったのだと考える。図書館の世界では「図書館の自由宣言」というのがあって、読者の自由を保証するという社会的使命が最も重要だとされている。したがって、「トンデモ本」となどいうラベリングで廃棄することこそ、とんでもないことである。また朝日新聞が言論の自由を否定するかのような論説を連日掲載していることも社会的に害悪を与えている。第ニ、第三の船橋の司書が出現しないともかぎらない。ケペルは一応は大学の史学科卒業で実証主義的な論文を書くことを教えられた。だが、その高名な実証主義的な教授が海外留学をした経験では「緻密な資料の考証の上にたって歴史研究をされ人もいるだろうが、ライターといって軽い読物をリライトして読みやすい歴史を書くこともあっていい」と教えてくれた。ブログはまさにその世界である。大雑把なようにみえても短文が案外と真をついていることのほうが多いのが歴史叙述である。
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