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2008年11月22日 (土)

隋唐時代の洛陽

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                         白馬寺

  大唐の都といえば、すぐに長安を思い浮かべるが、陪都洛陽のことは資料もすくなくてあまり歴史書には書かれていない。しかし、則天武后は洛陽がたいへんお気に入りで始終ここに入り浸っていたので一時期は洛陽が首都のようなぐあいであった。現在の洛陽市周辺から唐三彩が伴出する墓葬が多い。

    そもそも洛陽が中国の歴史に現われるのは周代・洛邑からであるが、もちろんその位置は隋唐代の洛陽とは大きく異なる。後漢の都であり、三国の魏、西晋とそれを受け継いだが、493年に北魏の孝文帝が都を大同から洛陽に遷都した。次の隋の煬帝は605年に漢魏以来の洛陽城の西10キロのところに、まったく新しい都市計画によって9キロ四方の都市を建設した。運河はすべて洛陽を中心として計画され、天下の物資はみなここに集められた。町の中には豊都市、通遠市、大同市という三つの市場をおき、とくに豊都市には西域の商人を誘致して、そこを外国貿易の中心とした。

    世界遺産ともなっている龍門石窟や中国仏教の発祥地・白馬寺は古都洛陽観光の人気スポットになっている。

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