貴族階級はいつも無定見である
麻生首相が国会で、戦争責任に関する政府見解で「村山談話をふしゅう?する」という答弁を何度も繰り返した。「ふしゅう」とは「踏襲(とうしゅう)」の誤読だという。麻生はこれまでも、前場(ぜんば)を「まえば」、有無(うむ)を「ゆうむ」、詳細(しょうさい)を「ようさい」と誤読している。漫画が好きで漢字が苦手というのは分からぬでもないが、「村山談話を踏襲する」が正しく読めないようでは、本人がどこまで戦争責任を感じているか疑問である。かつて「小説の神様」とまで讃えられた志賀直哉は戦時中に「シンガポール陥落」という短文で時局に迎合する文章を書いたが、戦後はすぐに変節して、「国語問題」という一文を「改造」に載せている。「私は此際、日本は思ひ切つて世界中で一番いい言語、一番美しい言語をとって、その儘、国語に採用してはどうかと考えている。それにはフランス語が最もいいのではないかと思う。六十年前に森有礼が考えた事を今こそ実現してはどんなものであろう。不徹底な改革よりもこれは間違いない事である」と平気で言っている。麻生にしても志賀にしても貴族社会で育った人は現実離れしている。体制が変われば言説を変えることは平気である。
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