関帝廟の祭神・周倉
関帝廟では、主神の関羽を正面に、その左には子の関平が荊州の牧の印を捧げ、右には部将の周倉が関羽愛用の青竜偃月刀(大薙刀)を捧げて侍立しているのが普通である。これは三人が荊州敗戦のときともに死んだことに講談や小説、芝居でなっているからだ。正史の「三国志」では、関羽は呉の孫権に荊州の臨沮で捕らえられ、子の関平とともに斬られたことになっている。しかし、もう一人の周倉のことは何も書かれていない。それどころか、「三国志」のどこを見ても周倉という人物の名はない。つまり周倉は「三国志演義」に取り入れられて定着し、ついには実在の関羽親子とともに神にまで祭り上げられた、架空の人物なのである。
「三国志演義」による彼の経歴は次のようなものである。関西の出身。もと黄巾の賊張宝配下の大将。臥牛山で山賊をしていたところ、崇拝する関羽に出会って部下にしてもらう。腕力が強く、胸板厚く、髯がはね上がり、見るからに強そうな男。以来、関羽のボディーガードとして身辺につかえ、関羽が殺されたとき、付近の支城にいてこれを聞き、自ら首をはねて殉死、ともに亡霊となる。
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