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2008年11月 1日 (土)

人馬は進む麦畑

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    航空幕僚長・田母神俊雄の「日本は侵略国家であったか」という論文が不適切であるとして、浜田靖一防衛相は田母神を更迭する、ということが朝から話題になっている。田母神論文を読んではいないが、新聞で要旨を見る限り、田母神が自衛隊の制服組としては至極、当然の意見のように思える。とくに「自衛隊は集団的自衛権も行使できない」「武器の使用も制約が多い」「攻撃的兵器の保有も禁止されている」「がんじがらめで身動きできない」という意見は、昭和53年の栗栖発言を思いだす。栗栖弘臣は「現行の自衛隊法では、奇襲侵略を受けた場合、内閣総理大臣による防衛出動が発令されるまでに時間的ズレがあることを指摘し、自衛隊が超法規的に行動せざるをえない」として物議をかもした。文民統制(政治が原則的に軍事に優先する)の観点から田母神と同様に更迭された。栗栖発言から30年も経過したが、「他国から侵略攻撃されたらどうするか」という防衛上の問題はそのままで、その後も何人もの人の更迭劇が繰り返されている。今回の論文では、過去の歴史認識での問題であるが、「我流史観」「極端発言」「事実を曲げた空想小説」という朝日新聞の誇張表現のオンパレードが冷静さを欠いているように感ずる。過去の歴史の評価や判断は事実の検証の仕方や立場などによって異なるのは当然のことである。たとえ政府の公式見解と異なる個人的意見をトップが持っていたとしても、即更迭ではなく、政府部内でもっと議論を交えるシステムがあってもいいのではないかと思う。もし仮に、ケペル一個人が「我が国は侵略戦争であったというのはぬれぎぬ」という主張してはいけないのだろうか。大東亜戦争肯定論を主張するといけないのだろうか。朝日新聞の論説委員と同じ考えや政府見解を国民すべてが共有しないといけないのだろうか。過去の戦争論議をタブー視にしたり、戦後の呪縛にとらわれることのほうが恐ろしい気がする。

 

    徐州 徐州と人馬は進む

    徐州居いよいか 住みよいか

    洒落た文句に 振り返えりゃ

    お国訛りの おけさ節

    ひげがほほえむ 麦畠

   東海林太郎の「麦と兵隊」が口からでてくる。昭和12年の盧溝橋事件をきっかけに泥沼の日中戦争がはじまった。その年の南京占領で、国民政府は首都を南京から重慶に移した。日本軍は進撃を続け、昭和13年10月までに徐州、広東、武漢三鎮を占領した。昭和15年3月、蒋介石と対立していた汪兆銘を助け、傀儡の南京政府を樹立した。西安事件の後、国民政府軍と共産党軍は統一戦線をつくり、各地で日本軍に抵抗した。国民政府は米英仏から物質的な援助をとりつづけ、共産党軍はソ連を指導者とするコミンテルンの全面的な支援のもとに戦っていた。日本の軍事的行動を支持する国際勢力はなく、あるとすればドイツのヒトラー政権のみであった。軍事的には広大な中国大陸を全面的に支配することなど土台むりな話である。にっちもさっちも行かなくなり、自ら招いたこととはいえ深い泥沼にはまっていった。このような歴史を語るとき、もしかりに「日本は侵略戦争をしようと思って戦ったのではない」とか、「日本の安全のための戦いであり、侵略ではなかった」と発言すれば、朝日新聞をはじめとするマスコミは一斉に非難し、更迭や辞任に追い込まれるだろう。つまり「侵略戦争だった」といっておけば身の安全は保障される。現行の教科書では「侵略戦争」と明記されているだろうが、自ら歴史を綿密に検討することなく、「侵略戦争だった」ということが、ある種の処世術となっている世の風潮に義憤を感ずる。むしろ日本人の誇りをもって発言した田母神に清々しさを感じる。

 

 

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