楠木正儀と佐々木道誉
賀名生の「皇居」
室町幕府の政争に敗れて失脚し南朝に降った細川清氏が「今こそ京を攻める好機ですよ」と公卿たちに触れ回った。このとき南朝の後村上天皇は賀名生の行宮でのわび住まいである。天皇はすぐに楠木正儀に相談した。正儀は、「今は父正成の時代とことなり、兵力もなく、どうして幕府方に勝てよう。これまでも都を攻めたことがあるが、いずれも攻め落としたのは数日だけではないか」と冷静に状況を判断していた。だが天皇の討幕の決心をくつがえすことはできず、1361年12月8日、正儀は南朝の大将として都を攻めた。
都に入ると将軍の館、有力大名の屋敷など次々に火を放って回った。正儀が向かったのは風流人で知られた佐々木道誉(1296-1373)の豪勢な屋敷だった。火を放とうと邸内に入ると、客殿には真新しい畳、美しい花が生けてあり、香炉から香ばしい香りが漂っており、宴の支度がしてあった。正儀は道誉の振舞いに感激し、都落ちする日までこの屋敷で過ごした。しかも吉野に逃げのびる時には、屋敷を掃き清め、感謝のしるしにと家宝の鎧と太刀を置いて去った。風流には風流をもって応えたのである。
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