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2008年10月 6日 (月)

幕末動乱期の阪神間の存在

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   NHK大河ドラマ「篤姫」を見ていると、薩摩、長州、京都、江戸などは幕末動乱期の主要舞台となっている。ドラマ後半の戊辰戦争になれば、さらに会津、東北、函館と広がってくるであろう。ところが大坂や阪神間はあまり幕末のドラマでは影が薄い存在である。せいぜい御用商人が武器を調達する話で登場する程度であろう。実際には大坂城は幕府方の大本営として重要な所であり、阪神間も京へ至る西国街道沿いの芦屋、西宮、尼崎は重要拠点であった。

   西宮の香枦園の浜は昭和37年頃までは海水浴場で賑わっていたが、東端に西宮砲台という不思議な建造物があったのを子ども心に記憶している。(今もあるだろうが最近は見ていない)。幕末の動乱期、国防のため勝海舟の建策で建造されたもので、阪神間には和田岬、湊川、今津とこの西宮に砲台が配備されたという。

    尼崎には残念さんの墓がある。元治元年7月の禁門の変で京都から脱走してきた長州藩の山本文之助が尼崎北の口門で逮捕され、尼崎藩の取調べ中に残念残念といって自殺した。その後、墓ができたが、多くの参詣人があった。民衆の「長州びいき」をみることができる。

   芦屋には阿保親王塚がある。長州藩毛利家は阿保親王の末裔であり、参勤交代の途上は必ず詣でたという。幕末の動乱期、長州藩がいち早く京都に勢力を伸ばし、朝廷と結びつくことが出来のも、打出陣屋などを拠点としたことと、無関係ではない。

    明治になってからも、阪神間と長州藩との関係は続いた。西宮教育界の中心人物であった山下厳麗は長州藩奇兵隊の出身である。明治13年に設立した武庫中学校の初代校長に就任している。同校の教師には、高橋正熙(修身)、豊田政苗(漢文)、野口英之進(英語)、樋口高光(歴史)、三宅貞治(地理)らがいた。なかでも「養精修道」の豊田政苗は、旧尼崎藩士出身で維新後尼崎藩の権大参事を勤めた儒学者である。これらの出自から推測しても「養精修道」は儒教の精神にもとづくものと思われる。

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