イギリスの秋
9月になったからとて、急に秋らしくなるものではない。夏の暑さはまだ厳しいのであるが、「秋来ぬと目にはさやかに見えねども、風の音にぞ驚かれぬる」(「古今和歌集」藤原敏行)という古歌が思い出される。
「百人一首」などを見ても「秋の田のかりほの庵のとまをあらみ」「春すぎて夏来にけらし白妙の」と季節の移ろいを主題とした歌がほとんどである。すなわち我が国では古代より1年を春、夏、秋、冬の四季に分けていた。ところで同じ島国でもイギリスでは14世紀ごろまで、1年をsummer(夏)とwinter(冬)の二季に分けていた。spring(春)は16世紀から、autumn(秋)はジェフリー・チョーサー(1343-1400)から用いられた。イギリス固有の秋という語は、harvestとfallで、北方地方では今でもこの語を用いている。「ハーベスト」は収穫のとき、「フォール」は落葉のときである。「ハーベスト・フェスティバル」といって、9月下旬から10月上旬にかけて、各地の教会で収穫祭が催されている。
だが近世、近代になってからイギリスの文学でも秋の自然を描写したものが多くなってくる。たとえば、次の詩に見えるように木の葉の散り果てるありさまをなぞらえて、恋のはかなさを歌う。
秋はきた、2人を愛する長い木の葉のうえに、
オオムギの束のなかに巣食うハツカネズミのうえに、
ナナカマドの葉はわれわれの頭上に黄ばみ
露しとど、野イチゴの葉も黄ばんでいる。
恋のおとろえのときはわれらに寄せきて、
2人の悲しい心は、いきはもの憂く疲れはてた。
別れよう、情熱のときのわれらを去らぬうちに、
伏目なる御身(きみ)の額に接吻し涙しながら
イェイッ「The Falling of the Leaves」
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