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2008年9月22日 (月)

自然が寂しい

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福井の遠敷郡は江戸時代には上中村38ヵ村、下中村73ヵ村あったが、過疎の村として知られ、名田庄村の1村となり、平成18年には町村合併により、消滅した

    民俗学者の宮本常一(1907-1981)が戦前から戦後にかけて日本全国を歩いて、生活が変わっていく、価値観が変わっていく様子を調査していた。日本の政治経済文化が大きく変わったのは昭和20年8月15日からと机上の歴史では思うかもしれないが、本当に変わっていったのは昭和40年前後だと思う。守屋浩の「東京へ泣いちっち」(浜口庫之助作詞・作曲)が流行ったのは昭和34年のことであるが、あのころからみんなは農村を捨てて、豊かさを求めて都会に出て行くという動きが顕著になってきた。宮本常一は昭和40年頃の農山村を、「自然が寂しい」と言った。これまで「自然が寂しい」と言った人はあまりいない。もしこれが、「自然は美しい」とするならば、 ここをちゃと刈り払ったりしている人がいるわけである。人が消え、田んぼから山から畑から人が消えていって、村が寂しくなっていくことを、村が寂しいと言わずに「自然が寂しい」と言ったのだ。しかし、宮本は、この後に、「しかし」と言っている。「しかし、そこに人の手が加わると暖かくなるんだ」と言っている。

    日本は経済成長とともに若い人を中心に都市に出ていく人が増え、このような村の生活を維持することがむずかしくなった。山村や離島の集落のなかには、生活が困難になったため住民が集団移転したところもある。こうした地域は過疎地域とよばれた。最近では、さらに過疎化は進行して「限界集落」という言葉も生れている。全国的な情勢では山間地域の過疎化現象が顕著にみうけられる。限界集落をそのまま放置すると無住集落となり、多様な生活文化の喪失を招くだけではなく、豊かな森林資源などを放擲することとなり、加えて林野の荒廃で保水力の低下した危険な上流地域を生むこととなり、台風などの豪雨で災害を招くこととなる。そのため近年、「限界集落」の解消を目指す産業と生活文化の振興を図る取り組みが模索されている。人と自然を考える会・東近江市立図書館が発行した「農と森の地産地消でふるさとづくり」(社会教育活性化21世紀プラン報告書)では地域が自立して生きる仕組みづくり、地域資源を生かしたまちづくりの事例学習が紹介されている。

森の地産地消(高知県馬路村モナッカ)、東近江を循環・共生の大地に、ほんまに私が主役のまちづくり(広島県安芸高田市川根の地域づくり)

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