無料ブログはココログ

« 自然が寂しい | トップページ | カフーを待ちわびて »

2008年9月22日 (月)

ヤンキースタジアムとエホバの証人

Img_0005_2

昭和3年当時の灯台社のメンバー。左から、赤松今朝松、明石順三、神田繁太郎

   来季から新球場に移転するというニューヨーク・ヤンキースタジアムで最終戦が行なわれたというニュース。1923年に開場し、ベーブ・ルース、ル・ゲーリック、ジョー・ディマジオ、ヨギ・ベラなど数々の名選手、名プレーをうんだ。ヤンキースの現主将で、ゲーリックの持っていたヤンキースタジアムでの通算最多安打記録を今季更新したジーターは「ここは野球という枠を超えた歴史的な場所、プレーできて幸せだった」と別れを惜しんだ。

   ジーターの言葉にもあるように、ヤンキースタジアムは野球ばかりでなく、歴史的な集会、イベントにも使用された。たとえば、ニューヨークに拠点をもつエホバの証人は1950年の数日間に16万人以上の信者が集った。1958年7月27日から8月3日にかけて、「神の御心」国際大会の会場となり、123の国や地域を代表する最高25万3,922人が押し寄せた。ワッチタワー協会(エホバの証人)をこのような世界的規模の組織に拡大したのは、第3代会長のネイサン・ノア(1905-1977)である。ノアは戦後35年にわたって協会を再組織し、世界的拡大が図られた。ワッチタワーは戦前には大正14年に、戦後も昭和21年には灯台社の明石順三(1889-1965)を日本の正式代表として認めていた。だが灯台社のメンバーたちは二度にわたる治安当局による厳しい弾圧に遭い、あるものは獄死し、あるものは非転向を貫き、戦後、出獄したが、組織的には壊滅的打撃を受けていた。明石順三も昭和20年10月9日、宮城刑務所から釈放され、12月には兵庫県芦屋の森上浩行の家で村本一生らと合流している。久しぶりに会った順三の言葉が「面白かったね」と伝えられている。妻の静栄や息子たちを亡くした順三の心中を察すると涙がでてくる。この後、ニューヨークのノアから連絡があるが、明石順三はワッチタワー協会の批判する文書を発行し、日本の灯台社の戦前の活動もすべて一切を抹殺されたかたちで除名される。現在の日本のエホバの証人は戦後新しく組織されたものであり、明石順三の灯台社とは別系統とされている。

« 自然が寂しい | トップページ | カフーを待ちわびて »

「キリスト教」カテゴリの記事

コメント

「ヤンキースタジアムとエホバの証人」にある森上浩行は 私の祖父です。祖父について 他に 何かご存知のことがあれば、お教えください。

森上武義さま、コメントありがとうございます。戦前の灯台社の活動には関心がありますが、記述以上のことは知りません。いま韓国には徴兵制があり、良心的兵役拒否者の大部分はエホバの証人だといわれています。戦前の灯台社への苛酷な弾圧の実態を研究することは今日的な意義があることです。とくに身内の方が森上浩行さんや新一さんの足跡を調査されて、歴史に刻むことは有意義なことと思います。

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

« 自然が寂しい | トップページ | カフーを待ちわびて »

最近のトラックバック

2017年7月
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31