ロードショーの廃刊
集英社の洋画雑誌「ロードショー」が11月21日発売の2009年1月号で休刊するという。この場合の休刊とは、イコール廃刊というケースがほとんどらしい。創刊は1972年3月。創刊時の思い出が蘇った。ケペルは阪神野田駅で働いていたが、まだ給料が少なく、駅近くの商店街にある本屋で販売中の「ロードショー」を買わずに立ち去った。表紙はカトリーヌ・ドヌーブでとても美しいかった。その年の8月に公務員になって、やっと雑誌が買えるようになった。全盛期はなんと「スクリーン」と「ロードショー」2誌も買っていた。しかしいつしか「スクリーン」だけになった。久しぶりに本屋で手に取ってみたが薄くなっているのに驚く。思えば洋画のヒット作も少なく、人気スターが育っていない。淀川長治、荻昌弘、小森和子といった人気映画評論家も亡くなった。ロードショー1975年スターベスト30はこんな顔ぶれがいた。
第1位 ブルース・リー
第2位 アラン・ドロン
第3位 ジュリアーノ・ジェンマ
第4位 スティーブ・マックィーン
第5位 ロバート・レッドフォード
第6位 クリント・イーストウッド
第7位 ポール・ニューマン
第8位 ジェームズ・ディーン
第9位 チャールトン・ヘストン
第10位 クラーク・ゲーブル
第11位 ジャン・ポール・ベルモンド
第12位 ピーター・フォーク
第13位 ピーター・フォンダ
第14位 アル・パシーノ
第15位 エルビス・プレスリー
第16位 ロジャー・ムーア
第17位 ロバート・ワグナー
第18位 ダスティン・ホフマン
第19位 デビット・マッカラム
第20位 クリス・ミッチャム
第21位 チャールズ・ブロンソン
第22位 ショーン・コネリー
第23位 ジェームズ・コバーン
第24位 チャールズ・チャップリン
第25位 ユル・ブリンナー
第26位 ジェームズ・カーン
第27位 バート・レイノルズ
第28位 レナード・ホワイティング
第29位 ジョン・ヴォイド
第30位 ジャック・ニコルソン
これらの顔ぶれをみて、現在も活躍しているロバート・レッドフォード、クリント・イーストウッド、ダスティン・ホフマン、ショーン・コネリー、ジャック・ニコルソンたちを並べてみると、ある程度当然の結果といえなくもない。もう一つ特徴をあげると、スティーブ・マックィーン、チャールズ・ブロンソン、ジェームズ・コバーン、デビット・マッカラムといえば「大脱走」(1963)の出演者たちだ。あるいはデビット・マッカラムをはずしてユル・ブリンナーを入れると「荒野の七人」(1960)のスターたちだ。つまりハリウッド映画は、60年代、70年代は、スティーブ・マックィーンがシンボル的存在だった。マックイーンはほんとうの意味で、アクションの面白さを映画で見せてくれたスターだった。テレビ「拳銃無宿」に出演していた無名の俳優が、世間の注目を集めたのは「荒野の七人」だった。マックイーンの敏捷な動きと鮮やかなガン・プレイは主役のユル・ブリンナーを喰ってしまった。その後、マックイーンは再びブロンソンやジェームズ・コバーンと組んで「大脱走」に出演し、軽妙な演技と飾り気のない素朴な持ち味で多くのファンを獲得した。「マンハッタン物語」(1963)の失業青年、「シンシナティ・キッド」(1965)のギャンブラー、「ネバダ・スミス」(1965)の復讐に燃える混血児、「砲艦サンパブロ」(1965)の水兵、どんな役でも常にカッコイイ。とくに「ブリット」(1968)の刑事、「栄光のル・マン」(1970)のレーサー、「ジュニア・ボナー」(1971)の西部男、「パピヨン」(1973)の終身犯、「タワーリング・インフェルノ」(1974)の消防隊長、と演技者としても成長してきた。1980年11月7日、ハリウッドきってのアクションスターも肺がんには勝てず、50歳の若さで急死したが、彼の穴をうめるような魅力あるスターはその後も現れていない。
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