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2008年9月28日 (日)

熱いトタン屋根の猫

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    アメリカを代表する俳優がまた一人去っていった。映画「明日に向かって撃て」「スティング」「タワーリング・インフェルノ」などで知られたポール・ニューマン(1925-2008)が、9月26日、がんのためコネティカット州ウェストポートの自宅で死去した。83歳だった。

   ポール・ニューマンは1925年1月26日、オハイオ州クリーブランドに生れた。父親は運動具店を経営していた。父の弟が、詩人肌の新聞記者だったので、少年時代は新聞記者になりたいと思っていた。しかし12歳で子供劇団にはいって舞台を踏むうち演劇への興味にとりつかれて、ケニヨン・カレッジで演劇に専念した。第二次大戦では海軍に召集され通信士として太平洋戦域で従軍した。復員後、エール演劇学校に入学。プロとしてのデビューはテレビであったが、ほどなくブロードウェーの舞台にチャンスをつかみ、14か月のロングランとなった「ピクニック」での演技がワーナー映画の注目をひいて、ハリウッドへ。「銀の盃」であざやかなデビューとなる。だが1年で、ハリウッドがいやになり、ニューヨークの演技研究所アクターズ・スタジオで演技の研鑽を重ねた。ハリウッドは再び彼を呼び戻し、「傷だらけの栄光」「長く熱い夜」「左ききの拳銃」などの異端児的な役どころで売り出した。ポールは「第二のマーロン・ブランドー」などと呼ばれた。「熱いトタン屋根の猫」(1958)ではアカデミー主演賞候補となった。

   南部に大農場を裸一貫から築いたビック(パール・アイヴス)はガンで死期が迫っている。本人は知らないが、息子たちは知っている。次男ブリック(ポール・ニューマン)は、毎日酒びたりだった。彼は親友スキッパーと妻マギー(エリザベス・テーラー)との仲を疑ったが、スキッパーの自殺にショックを受けて以来、マギーとの夫婦の交渉をなくしていた。スキッパーとブリックは微妙な友情に結ばれていた。ブリックの兄夫婦が遺産をねらってやってくる。ドラマは人間の赤裸々な欲望と、南部の頽廃を鋭くえぐる。テネシー・ウィリアムスの舞台劇をリチャード・ブルックスが映画化。題名の意味は夫との性交渉がなくなった若妻が、欲情をもてあましている状態をいっている。ポール・ニューマンはその後も何度もアカデミー主演男優賞にノミネートされたが長く賞に恵まれず、初の受賞は「ハスラー2」(1986)だった。

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