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2008年8月10日 (日)

「天地人」の最上義光に注目

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   最上義光(1546-1614)は天正の初め、父義守のあとを継いで最上氏の当主となって、慶長19年、69歳で没するまで、上杉景勝・伊達政宗らと戦い、出羽国山形の城主として名を轟かせた戦国武将である。とくに慶長5年の関ヶ原の合戦では、東軍の徳川方に属して米沢の直江兼続と長谷堂城で交戦する。西軍に属した出羽横手城主小野寺義道が庄内に迫ったため南北より挟まれるが、伊達勢の来援もあって辛うじて両者を撃退。戦後、その功により庄内などを加増され、57万石の大大名となった。

    ところで来年のNHK大河ドラマ「天地人」の主要配役が発表されている。主役の直江兼続に妻夫木聡、上杉景勝に北村一輝、上杉謙信に阿部寛、お船に常盤貴子、初音に長澤まさみ、などが決定しているが、最上義光はいったい誰だろうか?1987年の「独眼竜政宗」では、最上義光は原田芳雄が熱演したが、悪役としてのイメージが残った。史実とも大きくことなるだけに、今回の「天地人」の最上義光を注目している。和歌森太郎の「日本武将100選」(昭和45年刊、秋田書店)にも72番目に最上義光が取り上げられている。直江兼続は選外であった。最上義光は英雄である。

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「日本史」カテゴリの記事

コメント

最上義光はそもそも出ません(笑)happy02

コメントありがとうございます。ドラマ「天地人」ではいよいよ来週あたり豊臣秀吉も亡くなりそうです。上杉景勝と徳川家康との対立がみえてきました。そして反徳川として景勝は石田三成と結ぶ。このとき家康の脳裏にあったのは三成を攻撃するための大義名分が必要であることです。そこで慶長5年6月、家康は景勝を討つため会津出征。このとき石田三成は軍を動かしたため、家康は反転西上し、これが関ヶ原の合戦となる。そのとき直江兼続は最上義光を討つため山形へ侵攻していた。ドラマ制作上、最上義光、あるいは長谷堂城主・志村光安の配役は必要と思いますが、本当にでてこないのでしょうか?

おっしゃる通りです。

小生は夏休みに山形へ帰省(小生は婿ですが)して、その時に長谷堂城址公園を見てきました。
http://chess.way-nifty.com/chess_tane/2009/08/post-08f6.html
これにも書きましたが、兵力の単純比較からしても、直江兼続率いる上杉勢は、長谷堂城の守備側の3倍以上で寄せており、ここを迅速に落とせなかった直江は野戦指揮官としては今イチかと思っています。
 一方防戦側の最上義光や志村光安がきちんと登場しないというのは、あまりといえば酷い扱いでは無いでしょうか。独眼流の時以上の最上家軽視の扱いです。

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