無料ブログはココログ

« 2008年7月 | トップページ | 2008年9月 »

2008年8月31日 (日)

醒睡笑にみる赤塚ギャグ

Img_0006_3

「醒睡笑」にこんな笑話がある。

    小僧がいた。夜が更けてから長い竿を持って、庭をあちらこちらと振り回っている。坊主がこれを見つけて、「おまえは何をしているのか」と問う。すると小僧は「空の星がほしくて、落とそうとするのだけれど落ちません」と言う。そこで坊主は゛いやどうも愚かなやつだ。そのように考えが足りなくてはうまくいくはずがない。星には庭からでは竿がとどくまい。屋根へ上がれ」と言う。お弟子の小僧はともかくといたしまして、先生の教えはありがたいいいことを教えてくれるものだ。

   これを読むと、つい「これでいいのだ~」と納得する。まさしく「天才バカボン」赤塚不二夫ワールドがそこにある。「醒睡笑」は、元和9年(1623)に成立した。安楽庵策伝という僧が編集した笑話集で、話は42項に分類され、その分類は落語の分類にも適用されている。全8巻で、千余話が収録されている。(参考文献:速水博司「中学国語の基本事項・古典作文編」駿台文庫)

胡椒と大航海時代

Img_0005_3    

   中世末の地中海貿易の時代から、西ヨーロッパ人が香料(胡椒)を強く求めていたのは、肉食に原因がある。飼料作物の栽培の発達していなかった当時にあっては、家畜の飼料は自然の牧草にたよっており、冬は牧草が枯れるので、その前に多くの家畜を殺して肉として貯蔵する必要があった。大部分は塩漬けにするが、それでも冬の数ヶ月のうちには臭くなる。この臭みを消すために胡椒が調味料として用いられた。したがって胡椒は彼らにとって必需品であるが、遠い東南アジアから運ばれるためにたいへん高価であり、その取り引きによる多大な利益は、アラビア商人とイタリア商人、とくにヴェニス商人によって独占されていた。そこで新興のスペイン・ポルトガルの商人は、海路東洋に至る道を得て、直接胡椒を手に入れ、その取り引きによる利益の獲得をねらって、地理上の発見に乗り出したのである。ヨーロッパ人の世界進出、大航海時代の到来は胡椒を入手するのが一つの要因であるといえる。

直江兼続具足名品と漢詩

Img_0005_2
直江兼続所用の具足「金小札浅葱威二枚胴具足」(上杉神社蔵)

Photo_8     晴天。午前中、ブックオフへ。前から欲しいと思っていた本があった。「クロニック戦国全史」(講談社)。図書館では参考調査室に所蔵していて仕事で使うことがあったが、複雑な戦国史を詳細な索引でスピーディーに調べることができた。定価14,800円が4,500円。高いか安いかわからないが、ブログネタになりそうなのでよく利用すると思う。ほかに「総解説世界のSF文学」「総解説世界の奇書」、よしもとばなな「High and dry(はつ恋)」、安達千夏ほか「LOVERS」、いずれも105円也。

   菊花

菊は秋日に逢うて 露香奇なり

白々紅々 華枝に満つ

好し 西施が旧脂粉を把って

淡粧濃抹して 東蘺に上さん

  菊とおだやかな秋の陽射しが逢って、露に光りながらの花の香りが、この世のものとは思えないほどの美しさと心地よさだ。白い花々も紅い花々もそれぞれが枝に満開に咲き誇っている。さあ!こんなにも美しく心地よい風情なら、中国の越の国の有名な絶世の傾国の美女といわれた西施が昔つけていたお白粉姿を思い浮かべてみよう。そして、露に光り輝く秋の陽射しを浴びた菊の花々にも美しい薄化粧や濃い化粧を施して東の垣根に咲かせてみよう。

山室軍平と祝橋

Img_0006

    岡山の小学校高等科を卒えた14歳の山室軍平(1872-1940)が東京に着いたのは明治19年のことであった。勉強好きの少年がようやくにして得た仕事は、印刷工であった。明治20年の晩秋のことである。築地活版印刷所の前の築地川に祝橋がかかっている。その向こう側の橋の袂に、十数人の人が立っていた。「なんだろう」と近寄ってみると、キリスト教の路傍演説であった。よくはわからなかったが、演説が終ると、印刷物を配っていた。やじる者、石を投げる者、その周囲の罵詈雑言のなかにあって、毅然として神の言葉をのべ伝えようとする信者の姿が目に焼きついた。山室のキリスト教への信仰はこの祝橋での小さな出来事からはじまったのかも知れない。昭和6年、軍平59歳の時に思い出の祝橋に立つ写真が一枚残されている。のちに山室軍平はその生涯を日本救世軍の創設発展に尽力した。(参考文献:三吉明「山室軍平」人物叢書)

2008年8月29日 (金)

次郎長二十八人衆

Img_0007

左から清水次郎長(長谷川一夫)、法印大五郎(千葉敏郎)、小政(本郷功次郎)

Img_0005_2 

左から桶屋鬼吉(林成年)、追分三五郎(石井竜一)、大野鶴吉(鶴見丈二)、大瀬半五郎(品川隆二)、森の石松(勝新太郎)

    まだ家庭にテレビがなかった子どもの頃、夜はラジオから流れる浪曲が庶民の娯楽の一つだったように思う。そのなかでも広沢虎造の清水の次郎長が最も人気だった。もちろん映画館でも東映や大映のオールスターキャストの次郎長映画は最高の痛快娯楽大作である。今日の夕刊でマキノ雅彦監督の「次郎長三国志」が近く公開されると知った。お決まりの三度笠に富士山の背景が映画館で見たい気持ちを抱かせる。気になる配役であるが、清水次郎長(中井貴一)、森の石松(温水洋一)、小政(北村一樹)、大政(岸部一徳)、桶屋の鬼吉(近藤芳正)、法印大五郎(笹野高史)、関東綱五郎(山中聡)、沼津の佐太郎(大友康平)などであるが、全体的にベテランの脇役俳優で豪華スター陣という感じはあまりしない。ちなみに昭和34年の大映「次郎長冨士」のキャストは次のとおり。清水次郎長(長谷川一夫)、森の石松(勝新太郎)、大政(黒川弥太郎)、小政(本郷功次郎)、桶屋の鬼吉(林成年)、大瀬半五郎(品川隆二)、竹居の安五郎(香川良介)、神戸長吉(舟木洋一)、増川仙右衛門(島田竜三)などである。新作の「次郎長三国志」と大きく異なる点は二枚目揃いであるということであろう。「次郎長冨士」では、長谷川一夫、勝新太郎に市川雷蔵を吉良仁吉に充てて、三大スターを共演させるという魅力ある配役陣であった。新作「次郎長三国志」はおそらく村上元三の小説がベースであろう。秋葉の火祭、代官斬り込み、荒神山の血煙、石松金毘羅代参、閻魔堂の騙し討ち、鬼吉喧嘩状、富士川の決戦など浪曲や講談にでてくるお馴染みの話が展開するだろう。さて巷間「次郎長二十八人衆」などといわれるが、子分たちの正確な名前を知らない。映画や浪曲などでもやや異なることが多いだろう。たとえば有名な広沢虎造の「石松三十石船道中」で子分を順番にあげる下りがある。

1.大政(山本政五郎)

2.小政(小松村の七五郎)

3.大瀬半五郎

4.増川仙右衛門

5.法印大五郎

6.追分三五郎

7.大野の鶴吉

8.桶屋の鬼吉

9.美保の松五郎(三保の松五郎)

10.問屋場の大熊

11.鳥羽熊

12.豚松(美保の豚松)

13.伊達の五郎

14.石屋の重吉

15,お角力綱

16,鍋売り初五郎

17番以降は「うるせいぇな。おい、下足の札貰っているんじゃねぇやい。ナニ云ってやがんで、幾等次郎長の子分が強いったって、強いといって自慢するのはそんなもんだい、あとの奴ァ、もう、一山いくらの者ばっかりだよ」とセリフが面白い。これらの子分はだいたい実在性が高いと思われる。

   その他、出なかった名前は、森の石松、関東綱五郎、神戸長吉、小川の勝五郎、沼津の佐太郎、森の八五郎、七栗の初五郎、相撲常(相撲の常吉)。28人までにはあと数人の名前が不明である。

  他にも浪曲などで登場する名前は次のとおり。寺津の勘三郎、国定の金五郎、舞坂の富五郎、田中の敬次郎、四日市の敬太郎、辻の勝太郎、由比の松五郎、吉良の勘蔵、興津の清之助。ただしこれらの名前の人物が実在したのか、次郎長の子分であるのかは不明。

中盆と盆暗

Img_0006

    中盆(なかぼん)とは賭博の宰領であって、中央に壺振りと向かい合って坐る。お客が張る丁と半の金額が同額になるように尽力する。どちらかが足りなければ、斡旋したりして更に掛けさせる役である。手を触れたりしないで、一目で張られた金を勘定し、実際とそれほど違っていない者のことを、「盆が明るい」といい、それができないのを「盆暗(ぼんくら)」といった。「あんなボンクラ野郎はいない」などと日常使われる「ぼんくら」はここから出たといわれる。広辞苑によると、「(もと博打の語で、采を伏せた盆の中に眼光がとおらないで常にまけるという意)ぼんやりしている人。うつけもの。」とある。

ベロニカは死ぬことにした

Img_0005

   夏休みも終りが近づく。ブックオフに買出し。パウロ・コエーリョ「ベロニカは死ぬことにした」、村山由佳「天使の卵」、石田衣良「娼年」、安野モヨコ「働きマン1.2」、「春のワルツ公式写真集出会い」「春のワルツ約束の地」「春のワルツ公式ガイドブック特別編」「韓国ドラマNOWペ・ヨンジュンのすべて」

    韓流誌や韓流スターの写真集が新古書店に大量に出回っている。一時期ほどの韓流ブームは過ぎたとみてよい。ただし、年輩女性層のハートには韓国スターが根付いており、日韓の交流はますます深まっていくにちがいない。また日本と中国との関係もいろいろあったにせよ、北京オリンピックのテレビ中継が高視聴率だったように、アジアは近くなったという印象を強くしている。

2008年8月25日 (月)

夏の夕立

Img_0006

         北海道 富良野のジャガイモ畑

    「春小雨、夏夕立に、秋旱(ひでり)」というように、春は小雨程度に軽く雨が降り、夏は夕立があり、秋は晴天が続く。近頃、天候不順の日が続くが、夏はもろもろの農作物が肥大する時期で、太陽のエネルギーを一杯に受けて養分を実に貯えて成長しているのである。実りの秋も近い。

2008年8月24日 (日)

目賀田逸子

Img_0005

   近代日本図書館史において目賀田種太郎(1853-1926)の名前はアメリカ図書館事情の紹介者として比較的よく知られているであろう。たとえば「図書館学教育資料集成4図書館史」石井敦編において、「目賀田種太郎の報告(明治11~明治12年)と一項目が掲載されている。ところで目賀田種太郎の妻逸子(1860-?)が、勝海舟の三女にあたることはあまり知られていないであろう。逸子は美しく、性格は社交的で、英会話が巧みであった。明治8年商法講習所教師ウイリアム・C・ハイットニーの娘クララとの交流からキリスト教に感化された。明治13年、種太郎と結婚。家庭にあってニ男六女を育て、晩年は社会福祉に奉仕し、募金運動を進めた。息子の目賀田綱美は1920年代にパリの社交界でダンスを身につけ、昭和元年帰国すると「目賀田ダンス」という社交ダンスを日本に紹介したことで知られる。(参考:関百合子「目賀田家の嫁逸子」歴史研究第298号)

嵯峨野・化野念仏寺

Photo

   京都嵯峨野の特徴は、細くつづく小道と、それを囲む竹薮である。ここはまた数多くの哀話を伝える物語の里であり、ひっそりとした小道は、このあたりに隠れ住んだ人たちの薄幸の人生を象徴しているかのようでもある。滝口入道と横笛の悲恋を秘める滝口寺、高倉帝と小督の局の哀話を残す小督塚、なかでも平清盛の寵を失った侍女の祇王が、母や妹の祇女とともに余生を送ったと伝えられる祇王寺は、その閑寂なたたずまいの中に、いいようもない哀愁を漂わせている。

    しかし人の世の無常を感じさせるものとしては、化野念仏寺の右に出るものはない。化野とは小倉山東麓一帯の地名で、遺体を風葬にするため捨てた場所という。境内にある累々たる石塔の群れは、いかにも寂しく、いかにも悲しい。そのいずれもが、すべて無縁仏であり、いつの世にかここに捨てられた人々の悲しい墓石である。昨日と今夜、化野念仏寺では千灯供養が営まれる。

2008年8月21日 (木)

古代エジプト王妃メリトの宝飾品

Img_0006

                 王妃メリトの首飾り

   王妃メリトは古代エジプト第12王朝のセンウスレト2世の娘であり、センウスレト3世(在位前1874-前1855)の妻であった。1894年、ジャック・ドゥ・モルガンがダハシュールのセンウスレト3世の煉瓦ピラミッドの北側の王妃メリトの地下回廊から発見した宝飾品2点を紹介する。

    首飾りは墓から発見された金、ラピズ・ラズリ、紅玉髄、トルコ石などのビーズから復元されたものである。ペンダントは8個のトルコ石、5個の紅玉髄、5個のラピズ・ラズリからなり、各々の貴石は底部で交差する2本の金線でカゴ状に包まれ、上部は金箔の管玉とつながっている。これらの管玉の上端は輪になり、同じ様に金のビーズ玉にペンダントを下げるようになっている。留金となる部分はカゴとその上に「アンク」の文字、両側に二つのサアの文字からなることばをデザインしている。その意味は「全ての保護と生命」である。

Img_0007

              王妃メリトの貝形ペンダント

   金製で、紅玉髄、碧玉、トルコ石の象嵌がある。全体の形は真珠貝をかたどっており、中心の蓮の花から様式化された花弁がのび、逆V字で終って七宝細工のデザインが施されている。(「古代エジプト展」1978、京都市美術館)

2008年8月20日 (水)

赤いフリージア

Img_0005_2

   今日の誕生花はフリージア。甘い香りで人気のフリージアは、清楚で鉢植や切花として好まれる。メロン記念日の歌に「赤いフリージア」というのがあるが、花言葉は色によって異なり、白はあどけなさ、黄は無邪気、そして赤は純潔だそうだ。

ほほえみコンサート

Img_0006_2

     デビュー当時、アイドルの電車通勤

    昭和55年、56年頃、大阪のサンケイホールや堂島の毎日ホールでの石川ひとみ「ほほえみコンサート」に行ったことがある。アイドルのコンサートへ行くの最初で最後の想い出だったが、座席はなんと最前列中央の席で、ひとみちゃんの表情まで鮮明に目に焼きついている。現在48歳だそうだが、よきパートナーに恵まれ、充実した演奏活動をされている様子がサイトで知ることができる。

    昭和53年「右向け右」でデビューし、「くるみ割り人形」ではFNS歌謡最優秀新人賞を受賞したものの、ヒットに恵まれなかった。もちろんファンにとっては「あざやかな微笑」「ひとりぼっちのサーカス」「セシルの部屋」「秋が燃える」と好きな曲はあるのだが、シングル10曲はいずれもベスト10入りはしなかった。会社ではあと1曲出して、ヒットしなかったら引退と決断した。新曲は「懐かしきリフレイン」だったが、今ひとつインパクトが弱い。石川ひとみは、「だったら自分の好きな歌をうたわせて」と頼みこんだ。その曲はラジオで聞いた三木聖子の歌で、あまりヒットしていない曲だった。「ヒットしていない曲を歌ってどうする?」と会社は猛反対した。彼女は「この曲じゃなきゃ嫌」とめずらしく粘った。それで誕生したのが、名曲「まちぶせ」だった。

ベアトリーチェとマノン

Img_0005
 「情婦マノン」(1948)の逆さ吊りのシーン

   アベ・プレヴォー(1697-1763)が創り出した一人の女性像、マノンは、今までにかつてなかったタイプの女だった。ダンテにとってのベアトリーチェ、シェイクスピアのジュリエット、ゲーテのマルガレーテ(「ファウスト」)など世界の名だたる文豪が創り出した永遠の女性とはまったく別の世界の女だった。マノンはデ・グリューを愛しながらも金がなくなると、金持の男に走り、贅沢な生活に憧れる女性の典型となった。マノンのような男を破滅に導く悪徳の女が文学の祭壇に祭られるようになったのはこの小説が最初であろう。「マノン・レスコー」が世にだされた一世紀のちには、「椿姫」がデュマ・フィスによって書かれ、二つの作品は、オペラや映画で、いまも世界の子女の紅涙をしぼっているのである。

  無声映画ではリア・デ・プティやリア・マラの「マノン・レスコー」(1927)があるが、斬新なものとしては、アンリ・ジョルジュ・クルーゾー監督の「情婦マノン」(1948)があげられる。戦後のアプレの男女を現代風なアレンジをしてナマナマしく描いたもので、舞台もアメリカのニューオルレアンではなく、アラブの砂漠になっている。マノン(セシル・オーブリー)の死体を逆さに担いで砂漠を歩き、屍体に接吻するシーンは強烈な印象を残した。カトリーヌ・ドヌーブの「恋のマノン」(1967)や烏丸せつこの「マノン」(1981)など「マノン・レスコー」の映画化は翻案物が多いが、原作に忠実なマノンを見たいと願うのは私だけだろうか。セシル・オーブリー(1929-2010)はその後あっさりと女優を廃業し、モロッコの王族と結婚したり、児童文学者として成功したり、波乱万丈の人生を送った。

2008年8月19日 (火)

亀嵩と方言周圏論

Img_0005

 ズーズー弁の分布 東篠操編「日本方言地図」音韻分布図(金田一春彦作図)

   むかし民俗学の柳田国男は「かたつむり」(蝸牛)の方言が東北地方の北部と九州でツブリであり、関東や中国でカタツムリ、中部や四国でマイマイ、そして京都を中心とする近畿地方で、デデムシのように分布することを発見し、これによって、かつて蝸牛の方言がナメクジ→ツブリ→カタツムリ→マイマイ→デデムシのように変化し、それぞれが東西または南北へ放射されたと推定した。柳田の仮説を後の学者は方言周圏論と名づけたが、よくわからないところも多い。語彙には認められるものの、音、アクセントにはあてはまらないとする説もある。

   東北地方の方言の特徴は、「し」と「ず」、「ち」と「つ」、及び「じ」「ず」「ぢ」「づ」の区別をつけないので、「ズーズー弁」と言われることが多い。歴史的経緯から近畿地方の古い語彙は地方に残っていることが多いといわれる。近畿地方から遠く離れているはずの東北地方で古語が残っていることは一般的に知られているが、出雲弁、安来弁、米子弁といわれる雲伯方言にも東方地方の方言との類似性が高いことが国立国語研究所などの調査で明らかになった。これを推理小説の犯人捜査に上手に取り入れたのが、松本清張の「砂の器」である。東京蒲田操車場で殺害された被害者の東北弁「カメダ」から、島根県亀嵩(かめだか)を探し出した。当時は仁多町だったが、2005年に奥出雲町に変更している。しかし、この亀嵩という地名は小説、映画などで相当に知られており、奥出雲よりポピュラーな地名ではないだろうか。「この亀嵩の位置は、鳥取県の米子から西の方に向かって宍道という駅がある。そこから支線で木次線というのが、南の中国山脈の方に向かって走っているのだが、亀嵩はその宍道から数えて十番目の駅だった。亀嵩の地形はまさに出雲の奥地である。たった今、国語研究所で見せてもらった資料のズーズー弁の使われている地方のどまん中だった」(「砂の器」)

   町には湯野神社があり、「風土記」に「湯野、小川、源出玉峰西流云々」とあり、亀嵩の旧地名であろう。

2008年8月18日 (月)

少女漫画と女流作家

Img_0005_3

    作家・江國香織は「大切なことは少女マンガに教わった」として、「なかよし」と「りぼん」を読んでいたことを語っている。中・高校生のころ、好きな漫画家は、萩尾望都、大島弓子、小椋冬美、田渕由美子、くらもちふさこ、岩館真理子、吉田まゆみ、池田理代子をあげている。角田文代も大島弓子の「裏庭の柵をこえて」「バナナブレッドのプディング」「庭はみどり川はブルー」「四月怪談」「夢虫・未草」などをあげている。

    いま新古書店に行くと、フロアー面積の4分の1くらいはコミックの売り場であろう。男性、女性、世代に関係なく立ち読みをしている。読書調査で日本人の読書量は低下しているという結果を聞くが、「マンガが読書か」という論議をおいておけば、その国民の読書熱は相当なもので、やはり日本はコミック・アニメ大国であるといえる。政治家の麻生さんも小沢さんも漫画には詳しいらしい。あの頃、ほとんどの子どもたちは貧しく貸本漫画を読んでいたが、彼らは高価な単行本漫画を買ってもらって読んでいたのであろう。

    「少年クラブ」はA5版だったが、「冒険王」「少年画報」「おもしろブック」「少年」はB5版と大型化された。それに「少年くらぶ」の絵物語中心より漫画中心が子どもたちの人気を集めた。なんといっても「イガグリくん」が人気であったが、福井英一が急逝したことが惜しまれる。手塚治虫、横山光輝を筆頭に、堀江卓、わちさんぺい、山根赤鬼、青鬼、赤塚不二夫、藤子不二雄、白土三平たちが少年漫画界をリードした。少女雑誌も昭和30年に「なかよし」「りぼん」が創刊され、昭和38年に「週刊少女フレンド」「マーガレット」が創刊された。当初は少女マンガを男性漫画家が書いていたが、水野英子、牧美也子、わたなべまさこなどの有力作家が現れ、次第に女性漫画家が優勢になっていった。初期の少女マンガの代表作としては、「リボンの騎士」(手塚治虫)、「レモンとサクランボ」(西谷祥子)、「ガラスの城」(わたなべまさこ)がある。「地獄でメスがひかる」(高階良子)、「ベルサイユのばら」(池田理代子)、「アタック№1」(浦野千賀子)、「ポーの一族」(萩尾望都)、「たそがれ時に見つけたの」(陸奥A子)、「うわさの姫子」(藤原栄子)、「はみだしっ子」(三原順)、「スケバン刑事」(和田慎二)、「キャンディ・キャンディ」(いがらしゆみこ)、「はいからさんが通る」(大和和紀)、「エースをねらえ」(山本鈴美香)、「ガラスの仮面」(美内すずえ)、「悪魔の花嫁」(あしべゆうほ)、「フランス窓便り」(田渕由美子)、「風と木の詩」(竹宮恵子)、「SWAN白鳥」(有吉京子)、「王家の紋章」(細川智栄子)、「生徒諸君」(庄司陽子)、「小さなお茶会」(猫十字社)、「綿の国星」(大島弓子)、「バジル氏の優雅な生活」(坂田靖子)、「パタリロ」(魔矢峰央)、「花ぶらんこゆれて」(太刀掛秀子)、「エロイカより愛をこめて」(青池保子)、「白木蓮抄」(花都悠紀子)、「空くんの手紙」(小田空)、「PARTNER」(名香智子)、「日出処の天子」(山岸涼子)「ツーリング・エクスプレス」(河惣益巳)、「リップスティック・グラフィティ」(小椋冬美)、「ペパーみんと・エイジ」(前田恵津子)、「バナナフィシュ」(吉田秋生)、「花のあすか組」(高口里純)、「ボーイフレンド」(惣領冬実)、「いつもポケットにショパン」(くらもちふさこ)、「銀曜日のおとぎばなし」(萩岩睦美)、「パズルゲーム☆はいすくーる」(野間美由紀)、「純情クレイジーフルーツ」(松苗あけみ)、「荒野の天使ども」(ひかわきょうこ)、「前略・ミルクハウス」(川原由美子)、「アルペンローゼ」(赤石路代)、「月の夜、星の朝」(本田恵子)、「エイリアン通り」(成田美名子)、「天上の虹」(里中満智子)、「甲子園の空に笑え!」(川原泉)、「お父さんは心配症」(岡田あーみん)、「星の瞳のシルエット」(柊あおい)、「少年は荒野をめざす」(吉野朔実)、「小山荘のきらわれ者」(なかじ有紀)、「ここはグリーン・ウッド」(那州雪絵)、「ぼくの地球を守って」(日渡早紀)、「ホットロード」(紡木たく)、「麒麟館グラフィティー」(吉村明美)、「THE B.B,B.」(秋里和国)、「OZ」(樹なつみ)、「ちびまる子ちゃん」(さくらももこ)、「動物のお医者さん」(佐々木倫子)、「PaPa told me」(榛野なな恵)、「ともだちパズル」(おーなり由子)、「君は僕の太陽だ」(聖千秋)、「花図鑑」(清原なつの)、「BASARA」(田村由美)、「振袖いちま」(須藤真澄)、「赤ちゃんと僕」(羅川真里茂)、「イタズラなKiss」(多田かおる)、「アリスにお願い」(岩館真理子)、「フィーメンニンは謳う」(山口美由紀)、「ふしぎ遊戯」(渡瀬悠宇)、「南柳堂夢咄」(波津彬子)、「っポイ!」(やまざき貴子)、「世界でいちばん優しい音楽」(小沢真理)、「まっすぐにいこう」(きら)、「天使禁猟区」(由貴香織里)、「輝夜姫」(清水玲子9、「おいしい関係」(槇村さとる)、「陰陽師」(岡野玲子)、「百鬼夜行抄」(今市子)、「風光る」(渡辺多恵子)、「恋愛カタログ」(永田正美)、「彼氏彼女の事情」(津田雅美)、「クローバー」(稚野鳥子)、「快感フレーズ」(新篠まゆ)、「バラ色の明日」(いくえみ綾)、「フルーツバスケット」(高屋奈月)、「罪に濡れたふたり」(北川みゆき)、「ヤマトナデシコ七変化」(はやかわともこ)、「ハツカレ」(桃森ミヨシ)、「ハチミツとクローバー」(羽海野チカ)、「西洋骨董洋菓子店」(よしながふみ)、「プライド」(一条ゆかり)、「ホットギミック」(相原実貴)、「のだめカンタービレ」(二ノ宮知子)、「NANA」(矢沢あい)、「エマ」(森薫)、「桜蘭高校ホスト部」(葉鳥ビスコ)、「さくらん」(安野モヨコ)、「ホタルノヒカリ」(ひうらさとる)などなど多数あろうが、近年の神尾葉子の「花より男子」の大ヒットをみると、日本の少女マンガは国内だけでなく海外にも通用する主力カルチャーになっているといえる。また美内すずえは「ガラスの仮面」をコミックするにあたり、全42巻を描きなおしているという。また「別冊花とゆめ」に最近連載を開始した。ケペルは少女マンガをこれまで読んでいなかったが、もしかしたら「巨人の星」や「あしたのジョー」より、少女マンガのほうがスゴイかもしれないと脅威を感じている。

Img_0006_2

上田美穂、田島理司主演の学園ドラマも庄司陽子原作の人気コミックをドラマ化したもの

今日も暑い、でも、ふと感じた秋の気配

   盆休みがすんで、今日から仕事という人も多い。夏の高校野球は大阪桐蔭が優勝。大文字の送り火も終った。これで北京オリンピックが閉幕し、NHKの「思い出のメロディー」、日本テレビの「愛は地球を救う」が終れば、いよいよ秋も近い。

   ブックオフへ買出し。唯川恵「100万回の言い訳」「刹那に似てせつなく」、宮部みゆき「R,P.G.」、アリス・シーボルド「ラブリーボーン」、毛利子来「幼い子のいる暮らし」、いしだ絵里「目と手で感じたい」、いがらしゆみこ「ロミオとジュリエット」、「世界文学全集68.69」筑摩書房の世界名作集1.2

    最後の「世界文学全集」の内容細目。巻68は、バンジャマン・コンスタン「アドルフ」、ジェラール・ド・ネルヴァル「シルヴィ」、アントワーヌ・ド・サン・テクジュペリ「夜間飛行」、E・T・A・ホフマン「金の壺」、ホーフマンスタール「アンドレアス」、ハンス・ヘニ・ヤーン「家令候補者」、作者不明「ラサリーリョ・トルメスの生涯」、ジョアン・ギマエラス・ローサ「第三の川岸」、イータロ・ズヴェーヴォ「わが老衰」、チェーザレ・パヴェーゼ「秘めた話」、アルベルト・モラヴィア「苦い密月旅行」。巻69は、スティーヴン・クレイン「街の女マギー」、エフ・スコット・フィッツジェラルド「金持ちの青年」、カースン・マッカラーズ「悲しきカフェのうた」、ジョージ・オーウェル「動物農場」、デイヴィッド・ガーネット「狐になった奥様」、ニコライ・レスコーフ「ムツェンスク郡のマクベス夫人」、ミハイール・ブーニン「サンフランシスコから来た紳士」、イェージュイ・ブリンシュヴィン「ネルリ」、ユーリイ・カザコーフ「いまわしい北」、イェージュイ・アンジェイェフスキ「金いろの狐」

チロルにおけるハプスブルク家の文化的遺産

Img_0005

       黄金の小屋根(インスブルック)

   オーストリアのチロル州は、中世から20世紀初頭にかけて汎ヨーロッパ的な広大な地域を統治したハプスブルク家の文化的遺産が数多く残されている。神聖ローマ帝国の皇帝であったマキシミリアン1世(1459-1519)は、ミラノから迎えた2度目の妃ビアンカ・マリア・スフォルツァとの結婚を機に、舞踏会や競技会を楽しむために「黄金の小屋根」を造った。後期ゴシック様式の建物は色鮮やかなレリーフや、光り輝く黄金鍍金が屋根に飾られ、インスブルックのシンボルになっている。

2008年8月16日 (土)

いつかは行ってみたい青山島

Img_0007

    韓国ドラマ「春のワルツ」がNHKBSで集中放送されているが、今夜でいよいよ最終回、すなわち四季シリーズも最終章を迎える。なん回繰り返して見ても新鮮味のあるドラマはそう多くない。菜の花畑、虹の貝殻、ペンション、ピンクの軽トラック、キムッパ(のり巻)と新発見はいろいろある。そして、見終わると青山島(チョンサンド)へ行ってみたくなる。ハン・ヒョジュの親しみのある庶民的可愛らしさも魅力であるが、主題歌「FLOWER」がどこか聞き覚えのある曲で、せつなさが最高だ。とくに「Ⅰ Love You」という言葉の後のメロディラインは中森明菜の「セカンドラブ」に似ている。「♪恋も二度目なら~少しは上手に愛のメッセージ伝えたい~」というところだ。主演のソ・ドヨンが歌う「Flower‐M」と女性歌手YUNAが歌う「Flower‐F」がある。Mがチェハの心情を、Fがウニョンの心情をあらわしているらしい。とくにYUNAの透明感のある声が美しく切ない。サビの高音部にくるとシビレル。パチンコのコマーシャルソングでもこの部分が流れていた。主演のハン・ヒョジュはその後映画「アドリブ・ナイト」が成功し、スターとしての道を歩んでいるらしい。あの歯並びのよい笑顔をスクリーンでみたい。ところで「アドリブ・ナイト」の原作は平安寿子なので、どこまでも日本との縁の深さを感じる。吹き替えの声優さんも良かった。ベテランの松田洋治をはじめ、ヒロインのウニョンの雰囲気を加藤忍は見事に声で表現していた。春のイメージを菜の花畑の黄色で表現する感性は日本人と共有するものであろう。

2008年8月15日 (金)

絵葉書の歴史

Img_0005_3

Img_0007

Img_0006_3

    絵葉書の歴史は私製絵葉書が認可された明治33年から始まる。各地風景、美人、風俗、美術などなど様々なジャンルの絵葉書が生まれ、一大ブームとなって全国に絵葉書専門店が次々と開店した。ケペルも25年ほど前にヨーロッパ旅行したとき、お土産は絵葉書だけだった。いまも汚れているが、手元にある。

イギリスの製鉄と石炭の発達

Img_0006

   1790年代のリヴァプール近くの炭田

    製鉄および石炭の採掘とその利用は、遠く紀元前の中国やインドに起源をもつ。これがヨーロッパに導入され、素朴な使用から初期の産業が成立したのは、15~16世紀といわれている。18世紀後半、イギリスでは産業革命を推進し、製鉄業を基幹産業に成長させ、エネルギー源としての石炭の広範な使用を実現させた。

    1709年、エイブラハム・ダービー(1677-1717)は大型のコークス炉をつくり、製鉄の生産性を著しく向上させることになった。1779年、コールブルックデール製鉄所が鋳造した鉄材によって、世界初の鉄橋がセヴァーン川に架けられた。石炭はそのコークス化によって、石炭の広範な利用が可能となった。とくに19世紀の蒸気機関とレールは、人と貨物の移動に革命的な変化を引き起こす契機となる。(参考:「世界の歴史85 都市・運河・橋」朝日新聞社)

2008年8月11日 (月)

炎の青春

Img_0005_2

    宮崎キャンプでの練習中、ファンの声援に気を取られた星飛雄馬は返球を受けそこない観客席にいた松葉杖の少女に怪我をさせてしまう。少女に付き添っていた看護婦・日高美奈は飛雄馬に平手打ちを食らわせる。非を悟って恥じ入る飛雄馬は、2人を病院まで送り届ける。美奈の働く山奥の診療所は、僻地医療に身を捧げる沖医師と献身的に補助する美奈の無償の愛に満ち溢れた場所だった。飛雄馬は美奈に激しく惹かれていく。しかし周囲は恋愛におぼれる飛雄馬に厳しく、野球一筋に生きるべきか、美奈との愛を選ぶのかと迫る。苦悩の末、月夜の日南海岸で、美奈に別れを告げる。美奈は人差し指に現れた死の星を示して、自分が悪性の病に蝕まれて残り少ない命であることを告白する。死の運命の衝撃と恐怖に立ち向かう美奈の気高さにうたれる飛雄馬。教会で営まれる美奈の告別式で、すべての意志と情熱を失い自分の愛は美奈とともに死んだと飛雄馬はただ慟哭するのだった。

忍冬の花

Img_0006

    忍冬(すいかづら)は山野に自生する蔓性の小低木で、初夏、葉のつけ根に二つずつ並んで細い筒形の香りのよい花を開く。白く咲いて翌日は黄色く変わるので「金銀花」とも呼ぶ。花で薬用酒をつくり、葉は利尿剤等に用いる。中国では冬でも葉がしおれないで忍ぶところから「忍冬(にんどう)」という漢語が当てられた。語源としては、水を吸うカヅラ、スヒカツラ(吸葛)の義、冬を忍ぶシヌヒカツラ(忍蔓)の義、など諸説ある。

  すひかづら今来し蝶も垂れ下り

                       (東中式子)

  白と見し黄と見し花の忍冬

                       (前内木耳)

オグシオ準々決勝へ

Getimage

   バドミントン女子ダブルス一回戦、小椋久美子、潮田玲子組はデンマーク・ペアをゲームカウント2-1で逆転勝ち。末綱聡子、前田美順組もオーストラリア組に圧勝した。バドミントンは実力差、テクニックの差がはっきりしていて、番狂わせの少ない競技といわれる。第2シードのオグシオの対戦相手は中国。バドミントンは中国では卓球と並んで超人気競技だけに中国組に勝利することは容易なことではない。杜婧(ズー・ジン)、于洋(ユー・ヤン)は若手ペア。これまで幾多の苦難を乗り越えた二人だ。晴れの大舞台での粘り強い試合を期待したい。8月11日は72年前、ベルリンオリンピックの200m平泳ぎで前畑秀子(1914-1995)がマルダ・ゲネンゲル(ドイツ)と競い、1秒差で勝った記念すべき縁起のよい日だ。真夜中のラジオ中継で声援を送ったことを今は亡きケペルの母から聞いた覚えがある。

    ところで、オグシオは写真集が出るほどの超人気アスリート。昨夜初めてプレーする姿を見たが、髪をうしろにたばねて、笑顔はみせず、シャトルを追う真剣な眼差しに心ひかれるものを感じた。小椋、潮田のコンビネーションがとてもよい。彼女たちのいるコートにはジャンルは異なるが往年のピンクレディーやビューティー・ペアを彷彿させる美が存在する。だが若し勝利を収めて栄光に輝く時、一夜明ければ著名人。マスコミにもてはやされ、純粋な美は一挙に損なわれることにもなるだろう。女性美崇拝者の立場からいえば、勝ち負けよりも、素朴でひたむきな今のままの二人でいてほしいと願っている。

   バドミントンは番狂わせの少ない競技と書いたが、大番狂わせが起こった。末綱・前田ペアがアテネ五輪の金メダルペアに勝った。日本初のベスト4進出である。「前畑ガンバレ」のこの日、「前綱ガンバレ」である。

2008年8月10日 (日)

接骨木の花

Img_0006

   ニワトコは芽だしが早く、独特の樹形なので早春の野山でよく目立つ。昔から日本人にはなじみの深い樹木のひとつ。庭などにもよく植えられる。スイカズラ科の落葉低木。別名をセッコッボク(接骨木)という。枝や幹の黒焼きは骨折、打ち身などの薬になるといわれ、接骨木という漢語が当てられたのであろう。枝先に緑がかつた白い小さな花を集めて咲く。実は7月ごろ赤く熟してかわいらしい。

 接骨木はもう葉になって気忙しや

                                           (富安風生)

 接骨木の早や整へし花の数

                                           (井上波二)

「天地人」の最上義光に注目

Photo 

   最上義光(1546-1614)は天正の初め、父義守のあとを継いで最上氏の当主となって、慶長19年、69歳で没するまで、上杉景勝・伊達政宗らと戦い、出羽国山形の城主として名を轟かせた戦国武将である。とくに慶長5年の関ヶ原の合戦では、東軍の徳川方に属して米沢の直江兼続と長谷堂城で交戦する。西軍に属した出羽横手城主小野寺義道が庄内に迫ったため南北より挟まれるが、伊達勢の来援もあって辛うじて両者を撃退。戦後、その功により庄内などを加増され、57万石の大大名となった。

    ところで来年のNHK大河ドラマ「天地人」の主要配役が発表されている。主役の直江兼続に妻夫木聡、上杉景勝に北村一輝、上杉謙信に阿部寛、お船に常盤貴子、初音に長澤まさみ、などが決定しているが、最上義光はいったい誰だろうか?1987年の「独眼竜政宗」では、最上義光は原田芳雄が熱演したが、悪役としてのイメージが残った。史実とも大きくことなるだけに、今回の「天地人」の最上義光を注目している。和歌森太郎の「日本武将100選」(昭和45年刊、秋田書店)にも72番目に最上義光が取り上げられている。直江兼続は選外であった。最上義光は英雄である。

北京五輪と読書

Img_0005

    北京五輪の開会式を見て感じたことは、やはり悠久の歴史を誇る中国は「文字の国」「読書の国」だということである。儒学の学徒が竹簡を手に、力強く論語を読み上げる。そして紙、火薬、活版印刷、羅針盤の発明は、人類文化の発展の礎となった。張芸謀の演出は素晴らしい。スポーツの祭典だけに、読書家には無縁のものと思っていたが、文武両道は大切である。

   王陽明が少年のとき、塾の先生に「一番大事なことは何ですか」とたずねた。先生は「読書して科挙に合格すること」と答えた。すると王陽明は「一番大事なことは科挙に合格することではなく、たぶん読書の目的は聖人に学ぶことでしょう」といったという。しかしながら現実には多くの人びとは出世のために勉強をする。

家を富ますに良田を買うを用いざれ

書中自ら千鍾の粟あり

居を安んずるに高堂を架するを用いざれ

書中自ら黄金の屋あり

門を出づるに人の随うこと無きを恨む莫かれ

書中車馬多くして簇るが如し

妻を娶るに良媒無きことを恨む莫かれ

書中女あり顔玉の如し

男児平生の志を遂げんと欲せば

六経勤めて窓前に向って読め

(古文真宝前集 真宗皇帝勧学文)

   「美女をえたいと思えば、本を読め」というのが中国の古くからの教えであった。早速、本日もせっせと本の買出しに行く。

   姫野友美「女はなぜダメ男にはまるのか?」、内田春菊「もっと悪女な奥さん」、丘眞奈美「京おんなに学ぶ」、黒柳徹子「小さいときから考えてきたこと」、篠原千絵「水に棲む花 全5巻」、「モモスタイル」、「新しい単位」。「モモスタイル」はモモというピンク色のくまのぬいぐるみの写真集。いわゆる「ゆるキャラ」であろうか。画像はモモ兄と渡辺満理奈ちゃん。「新しい単位」はフジテレビの「宝島の地図」のワン・コーナー、「STNK世界単位認定協会」を単行本にしたもの。重さや長さに単位があるように、「ゴージャスさ」「気まずさ」「憎たらしさ」にも単位がほしい。例えば、「器用さ」の単位として「渡辺満理奈の生きかたの器用さ」を180snとしている。これらの本はクズ本として100円で売られ、図書館でも「くだらな本」などといわれすぐに除籍対象となるが、サブカルチャーとしてみた場合、収集・保存の対象範囲とすることはちょっと勇気がいるが、面白い効果が出るものと期待している。

2008年8月 9日 (土)

ギニア共和国と北京五輪入場行進

Img_0006

  北京五輪の入場行進を見ていると、中国語表記で漢字(簡体字)の画数の少ない順から入場していた。ただしトップはオリンピック発祥国のギリシャ(希腊)である。2番目は最初の文字が2画のギニア(几内亜)で、3番目はギニアビサウ(几内亜比紹)である。「几」という字は「凡」の点のない字とテレビで説明していた。ところでギニアとギニアビサウとは何故国が分かれているのだろうか。17世紀から18世紀にかけてヨーロッパ各国が、金、象牙、奴隷を求めて、植民地を建設したとき、現在のギニア共和国はフランスが、ギニアビサオはポルトガルの植民地であったためだろう。

   ちなみに、主要な国名の漢字表記をみると日本人が明治から昭和戦前期に使用していた表記と現在の中国語表記とは異なるものも多くみうけられる。アメリカは亜米利加ではなく、美国。ロシアは露西亜ではなく、俄羅斯。イギリスは英吉利ではなく英国。フランスは仏蘭西ではなく、法国。ドイツは独逸ではなく徳意志。イタリアは伊太利亜ではなく意大利。ベルギーは白耳義ではなく比利時。トルコは土耳古ではなく土耳其。スペインは西班牙と同じだった。エジプトも埃及と同じ。

2008年8月 8日 (金)

ケネス・レクスロス

Img_0005

  星の下に寝そべって

  夏の夜、遅く、秋の星座が空にのぼる

  そしてヘラクレスの星群が

  西に落ち

  私は望遠鏡を置いて

  デネブが天頂に動くのを見る

 ケネス・レクスロス「The Heart of Herakles」  

   ケネス・レクスロス(1905-1982)は少年時代をいわゆるシカゴ・ルネサンスのまっただなかで過ごし、IWW(世界産業労働者組合)の運動などをしながら、1927年にサンフランシスコに落ち着いた。カリフォルニアの風景と、古典文学と生物学がユニークに結合した彼の詩に力づけられて、ゲーリー・スナイダーたちビート・ジェネイションが育っていった。著書に「選詩集」(1935年)がある。

月夜のうさぎ

Img_0006

   最近ではあまり使われないが、「烏兎怱々(うとそうそう)」という言葉があるが、「月に兎が住んでいる」という話は中国では随分と古くからある。太陽には三本足の鳥が、月には兎が住むとされ、烏兎(うと)は太陽と月のことで、「烏兎怱々」とは、歳月があわただしく過ぎ去ることをいう。

   古書によれば、張衡の「霊憲」に「月は陰精の宗、積みて獣となり、兎蛤(うさぎとはまぐり)に象る」とある。傳元の「擬天問」に「月中何か有る。白兎薬を搗く」とあり、「古怨歌」に「煢煢たる白兎、東に走り西に顧る」とある。「五経正義」に「月中に兎有り、蟾蜍有るは何ぞ。月の陰なり」とある。蟾蜍はひきがえる。漢代の瓦当の文様に、この二者が同居している図がある。月が不死であるのは、霊徳があると信じ、その月中に兎がいるのも、兎に宜しい所があってのことと思われていたのであろう。「楚辞」天問第1段にも、次のような詩がある。

 夜光何の徳ぞ

 死すれば則ちまた育す

 厥の利維れ何ぞ

 而して顧莵腹に在り

(月には何の徳があるのか。死んではまた生まれる。何の宜い事があって、顧莵(うさぎ)は月の中にいるのだろう。)

今夜の北京オリンピック開会式。月から兎が眺めているだろうか。

2008年8月 3日 (日)

まぼろしの2008年大阪オリンピック

Img_0005

   北京オリンピックの開会式が行なわれる8月8日の天候は、「曇り時々雨」という予報が発表された。開会式が雨の場合、中国政府は人工的手段で上空を晴れにするという手段を用いる可能性があると前々からいわれていたが、本当に実行するのだろうか。

   ところで、もう昔語りではあるが、2008年のオリンピックは、北京のほかに大阪も開催都市として2001年のIOC総会で決定していた。大阪湾に浮かぶ舞洲・夢洲をメインスタジアム・選手村を設置して人工島を中心会場とする構想で誘致合戦に臨んだが、北京に敗れたのだ。「♪今夢が叶う時、世界中のひとが一つになれる。海鳥が舞う潮路、見上げる空に聖火が映える」という「大阪2008ソング」である「このHOSHIの仲間へ」(大阪オリンピック招致地元愛唱歌)を歌える人は誰もいないのも淋しい。

2008年8月 2日 (土)

シャガールとベラ

Img_0006_2

  シャガール 「町の上の恋人たち」(1917-18)

    マルク・シャガール(1887-1985)は、21歳の時、故郷のヴィテブスクに帰った。そこで裕福な宝石商の娘ベラ・ローゼンフェルト(当時13歳)と運命的に出会う。二人は、恋に落ち、反対をおしきり、28歳のときの1915年3月、結婚する。シャガールはベラとの出会いを「美の神が舞い降りてきたかのようだった」と回想している。翌年には娘イダが生まれ、2年後にはロシア革命が勃発している。だが、シャガール夫妻はアメリカ滞在中の1944年9月、ベラはウィルスに感染して亡くなる。シャガールは創作活動もできないほど落ち込んだが、1952年、ヴァランティーヌ・ブロツキーと再婚する。だが最初の妻ベラは最愛の伴侶であり、霊感の最大の源泉だった。

エリザベス・ギャスケル「女だけの町」

Img_0005

    19世紀ヴィクトリア朝の小説家ギャスケル夫人が「いまイギリスで再評価されている」と聞いたことがある。日本でも「日本ギャスケル協会」という団体があるそうだが、ギャスケル夫人、つまりエリザベス・クレグホーン・スティヴンスン(1810-1865)のことは、こないだまで迂闊にも何も知らなかった。今日、ブックオフで筑摩書房「オースティン・ギャスケル集」(世界文学全集14)を見つけた。(なんと105円である)ジェイン・オースティンの作品はいつもどおり中野好夫訳「自負と偏見」だが、ギャスケル夫人の作品は小池滋訳「女だけの町」である。あまり聞きなれない題だが、原題「グランフォード」(1853年)のことである。

   その他、エミリー・ブロンテ(1818-1848)の上田和夫訳「嵐が丘」「詩」、「プルターク英雄伝」「クセノポン・一万人の退却」、北川悦吏子「ロングバケーション」、柴門ふみ「新・同棲時代」、「シャガール・デュフィ」すべて105円。

アラフォーとシンデレラ

Img_0006

    アラフォーという言葉が流行っているそうだ。「Around40」のことで、40歳前後という人生の折り返し地点に立ち、自分の人生をそれぞれに生きる女性たちに注目が集まっている。永作博美、高島礼子、寺島しのぶ、羽田美智子主演のドラマ「四つの嘘」。アイドル時代のribbonの頃から知っている永作博美ちゃんもはや40歳。(いいえ実際は38歳デス)外国映画も近く公開される「セックス・アンド・ザ・シティ」がキャリー(サラー・ジェシカ・パーカー)、サマンサ(キム・キャトラル)、シャーロット(クリスティン・デーヴィス)、ミランダ(シンシア・ニクスン)も4人の女性。「あなたはどのタイプがお好み?」という話ではない。おそらく男性は40代女優などには関心はなく、女性向き映画だろう。40代になった女性たちの友情、恋、そして人生。キャリーの結婚話を中心にストーリーが展開するが、キャリーが大の靴好きという点に注目したい。「靴フェチ」「靴偏執狂」とまでいかないまでも、何故に女性はたくさんの靴をもっているのだろうか。ケペルなどはとことん履きつぶすまで使うのでせいぜい2、3足。(たぶん往年の刑事ドラマで聞き込み捜査で靴を履つぶすのを見てカッコイイと思ったからだろう)なのに家内の靴は40、50足はあって玄関には天井まで靴の収納スペースがある。女性が靴に執着するのは、シャルル・ペローの童話「サンドリヨン」にそのルーツがあるようだ。サンドリヨンが履いていたガラスの靴の片方が手がかりとなり、王子と結婚するという、サクセス・ストーリーのシンデレラである。靴が不運なヒロインを幸福へと導く魔法の装置としての役割がある。つまり女の道は一生かけて、自分にだけ履ける靴を探し求める「自分探し」の人生なのかもしれない。

« 2008年7月 | トップページ | 2008年9月 »

最近のトラックバック

2017年6月
        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30