稀代の遊女・吉野太夫
吉野太夫 伊東深水 1966 山種美術館蔵
吉野太夫(1606-1643)、名は徳子、西国の藩士・松田武右衛門の娘。零落した両親の死によって、7歳のとき京都の廓に入り、はじめ浮船と名乗った。のちに吉野太夫となり、才色兼備の最もすぐれた遊女となった。京の町家として巨富をなした灰屋紹益に身請けされるが、紹益はそのため父紹由に勘当され、二人は貧しい侘住まいを余儀なくされる。ある日のこと、その侘住まいとも知らず雨宿りした紹由は、この家の妻女の人品に一驚。のちに、これが吉野太夫だと知って、息子の勘当を解き、嫁として正式に認められた。寛永20年8月25日、吉野は38歳で病没する。紹益は悲嘆のあまり、
都をば花なき里になしにけり
吉野は死出の山にうつして
と詠んだ。
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