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2008年6月20日 (金)

江戸のシンデレラ

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   桂昌院 長谷寺蔵

   お福(1579-1643)は将軍秀忠の長子竹千代(後の家光)の乳母となった。お福は御台所・お江与の死後、大奥を統率し権力者となり、春日局の名を賜った。しかし春日局を悩ましたのは、家光が女嫌い、もっぱら美しい小姓(美少年)たちを近づけて、しきりに寵愛することであった。あるとき、浅草観音に参詣した春日局は、道すがら、一人の美少女に目をとめた。これがお楽(1621-1652)である。神田鎌倉河岸で古着商をやっていたお蘭は名をお楽と改め、家光の侍女となった。寛永18年に長男竹千代(家綱)を生んだ。春日局が病に伏せったのち大奥の頂点に立ったが、病弱で将軍の御前にでることも稀だったため、後に大奥の実権はお玉(1627-1708、後の桂昌院)に移る。お玉は八百屋の娘であったが、家光の寵愛を受け四男徳松(綱吉)を生んだ。成長して館林藩士となった綱吉が将軍位を継いだ。「氏なくして玉の輿にのる」という言葉はお玉のためにあったようなもので、江戸時代のシンデレラといわれる。お玉は生来無智な女性であった。くわえて大層迷信深かった。綱吉の悪法「生類憐みの令」も、もとはといえば、桂昌院の迷信から出たものである。

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