織田作之助の臨終にいた女
端役の女優であった輪島昭子(芸名、築地燦子)は、井上演劇道場の「わが町」の中で四人姉妹の末妹の役をもらった。この上演の稽古を立ち会うために上京した織田作之助(1913-1947)と初めて出会ったのは、昭和18年のことだった。そのころ織田には宮田一枝という愛妻がいた。その一枝は昭和19年の夏に肺がんのため亡くなった。やがて昭子と織田は意気投合し同棲関係となる。織田の旅先の東京での臨終にいたのも昭子ただ一人だった。林芙美子が何かと昭子の世話をみてくれた。昭子は織田の弟子である石浜恒夫(1923-2004)と結婚し、一児の母となるが、のち離婚。輪島昭子のその後の消息は何も知らない。
ちなみに石浜恒夫は東洋史学者・石浜純太郎(1888-1968)の長男である。
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