預言者ヨナのしるし
ユダヤ人たちの一族が、イエスに、「あなたがメシアであるという証拠を見せてください」と言った。しかし、イエスは「そんなことはヨナ書を読めばわかる」と答えた。しかしそれでは納得できないユダヤ人たちに、イエスはさらに、こういう風に言われた。「つまり、ヨナが三日三晩、大魚の腹の中にいたように、人の子も三日三晩、大地の中にいることになる。ニネベの人たちは裁きの時、今の時代の者たちと一緒に立ち上がり、彼らを罪に定めるであろう。ニネベの人々は、ヨナの説教を聞いて悔い改めたからである。ここに、ヨナにまさるものがある。」(「マタイによる福音書」12.40-42)
ヨナとは紀元前8世紀の預言者である。ヨナはゼブルンの部族に属したとき、ガラリヤのガト・ヘフェルの預言者アミタイの子だった。ヨナという名には「はと」という意味がある。ヨナは、神から、「大いなる都市ニネベに行き、彼らの悪がわたしの前に達したことをふれ告げよ」と命令される。しかし、ヨナは敵国アッシリアに行くのが嫌で、反対の方向へ逃れて行き、タルシシュ、つまり今日のスペインへ行く船に乗る。このため、神は船を嵐に遭遇させた。船員たちは、ヨナが神の怒りにふれたのだと考え、ヨナを海に投げ込んだ。ヨナはシェオルという大きな魚に呑み込まれ3日3晩魚の腹の中にいたが海岸に吐き出された。しかたなく、ヨナはニネベに行って神の裁きを告げると、意外なことに人々はすぐに悔い改めた。神は憐れみによってその都市の滅びを免れさせた。だがヨナの心には、ニネベの人々に対する同情心はみじんもなかった。ヨナはこのことに我慢できず、その市の東側に宿営を張り、何が起こるかを見ようとする。神は1本のひょうたんに任じて、この不機嫌な預言者ヨナのための日よけとして生えさせる。だが、翌日、一匹の虫のため植物はしおれ始め、やがて枯れて、その日よけはなくなってしまう。ヨナは焼けつくような太陽に照らされる。ヨナは、「わたしは生きているより、死んでしまったほうがましだ」と繰り返す。神は「あなたがひょうたんのことで怒りに燃えたのは正しいことか」とヨナに尋ねた。ヨナは、「わたしが怒りに燃えて死ぬほどになったのは正しいことです」と答えた。それで神はこの預言者に言われた。「あなたはひょうたんを惜しんだが、それはあなたが労したのでも大きくしたのでもない。それは一夜のうちに育て、一夜のうちに枯れうせた」
神は、ヨナが1本のひょうたんを惜しんでいる一方で、神が今、大いなる都ニネベを惜しまれたことについて怒りを抱いたことの矛盾を悟らせたのだ。そしてヨナは神の憐れみの偉大さを学んだ。
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