牡丹と柿
古希を迎えた武者小路実篤(大竹新助撮影)
牡丹花を見て柿は驚いた。「なんて立派な花だろう。こんな大きな花の実はどんなに立派な実だろう。西瓜の何倍もあるにちがいない。そして食べるときはどんなにうまい実だろう」
柿は、花の実のためにあることを信じ切っていたので、牡丹の花も実のためにあると思い込んでいたのだ。そう信じて、牡丹にどんな実がなるか、毎日たのしみに待っていた。ところが牡丹の花が散ったあと、青い唐辛子の小さいのが、三つ四つかたまって逆立ちしているような実に見すぼらしい実切りならないので、柿は驚く以上、可笑しくなって笑った。
「牡丹と言う奴はなんと言う馬鹿なのだろう。あんな大げさな花を咲かせながら、あんなケチな実きり結べないのだ。余程虚栄心に富んだ馬鹿にちがいない」
ところが牡丹の方は、柿の実を見てすっかり感心して、実に美しい立派な実だと思った。牡丹は実は花のためにあるものと信じて疑はなかったので、こんな実がつくれる柿は、さぞ立派な花を咲かせるだろう。今まで気づかなかったのは、よほど自分が間抜けだったにちがない。今度は是非注意して見てやろう。そう思って柿の花の咲くのを、今か今かと待っていた。ところがいよいよ柿の花か咲く時が来た。牡丹はだまされたような気がしてがっかりして、「これでも花か、これでは気がつかないほうが、あたりまいだ。あんな実を結びながら、こんなケチな花切り咲かすことが出来ないとは、柿さんも存外働きがないね」
わきにいた松は、二人の評を聞いて言った。
「花は実のためでもあり、実は花のためでもある。それは本当だ。だが花は花のためにも存在し、実は実のためにも存在する。それも本当だ。牡丹さんは花が美しいからそれで威張ればいい、柿さんは実が美しいからそれを自慢にすればいい。私は花も実も駄目だから、せめて身体を大きくして、何かのお役に立ちたいと思っているのだよ」
柿も牡丹も「さう言うものかね」と思った。
武者小路実篤著 「牡丹と柿」(一部分)(初出 「心」昭和27年4月号)
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