パウロの勇気
パウロ(紀元前2年~紀元後67年)は、小アジアのキリキア州タルソスで、ユダヤ人の子として生まれた。ユダヤ名をサウロといい、ベニヤミン族に属するユダヤ人であるとともに、生得のローマ市民権を持っていた。ペテロがイエスの直弟子であるが、パウロは、直弟子でないのみならず、イエスを迫害したパリサイ派の知識人であった。34年、シリアのダマスカス近郊で回心し、イエスをキリストと告白するに至った。その後、異邦人の使徒という自覚に至って、小アジア、マケドニア、ギリシアと48年から3回の伝道旅行をし、各地に教会を建てた。56年、エルサレムに行ったときユダヤ人と衝突し、暴行を加えられた。パウロは勇気を持って次のように述べた。「わたしは、縛られることばかりか、主イエスの名のためにエルサレムで死ぬ覚悟さえできているのです」。パウロがエルサレムの神殿を訪れやいなや、ユダヤ人たちが、暴徒をあおってパウロを殺そうとする。ローマ兵はパウロをエルサレム神殿の北西部の角にあるアントニオの塔と呼ばれた要塞の階段上方の安全な所に引きずるように連行された。両手は2本の鎖で縛られていた。ヘロデ・アグリッパ2世はパウロの弁明を聞いて、「あなたは、わたしを説得してクリスチャンにならせようとしている」と述べたが、ローマ市民であるため、パウロを殺さずに、カエサリアの牢に入れた。2年間の監禁生活の後、西暦58年頃、パウロはローマへ護送される。途中で難破したりしたが、61年頃、ローマに着いた。やがて皇帝ネロによって迫害され、67年、捕らえられ斬首された。
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