千慮の一失
渡辺崋山「韓信の股くぐりの図」 沼田市・長寿院蔵
漢の劉邦の麾下の将軍で名将韓信(?-前197)がいた。彼は若い頃、屠殺業者に侮辱されて、じっと耐えてその者の股の下をくぐったという「韓信の股くぐり」の逸話は有名である。
韓信ははじめ楚の項梁、項羽のもとに仕えたが目が出ず、蕭何の推挙を得て漢の劉邦に仕え、大将軍に任命された。彼の智将としての名声を一躍に高めたのは、趙攻略においてである。軍略家として知られた李左車は、奇襲をもって韓信の糧道を断つことを進言したが容れられず、ために趙は滅亡した。韓信は李左車を捕らえると、辞を低くして兵法の教えを乞うた。「敗軍の将兵を語らず」といったんは断わった李左車も韓信の熱意に動かされ、「知者も千慮に一失という言葉があります。わたし如きが申すことなど、お取りあげいただくほどのことはありますまいが、力の限りお役に立ちましょう」と言って、燕・斉を降す策略をさずけた。
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