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2008年4月 5日 (土)

松竹歌舞伎と松竹映画

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(左より)佐分利信、佐野周二、上原謙、岡田茉莉子、小山明子、高千穂ひづる、佐田啓二、高橋貞二ら松竹映画スター

 松竹の創業は、大谷竹次郎(1877-1969)が京都阪井座を買収した明治28年である。「松竹」の名前は、明治35年、双子の兄の白井松五郎(1877-1951)と共に、松竹合名会社を設立したことに始まる。演劇興行会社で100年以上もの歴史を持つことは世界にもあまり類例がない。

    明治36年1月、1回目の興行は、歌舞伎の実川延二郎(後の2代目延若)一座で、出し物は「曽我の実録」「乳貰い」「左甚五郎」。興行は大成功だったという。竹次郎が大津の連隊に入隊したのを契機に兄松次郎もこの仕事に加わり、2人は競い合うように京阪の劇場を手中にして、明治43年には本郷座と新富座を買収して東京へ進出した。大正3年、歌舞伎座経営、昭和5年には東京劇場を新築開場した。松竹が、映画に乗り出したのは大正9年のことで、「松竹キネマ」を興し、栗島すみ子、川田芳子、五月信子、英百合子、柳さく子、岡田嘉子、伏見直江、歌川八重子、八雲恵美子、田中絹代などの看板女優を中心に蒲田調といわれる女性向映画を得意とした。戦後の松竹大船調では、小津安二郎、木下恵介、大庭秀雄、中村登、吉村公三郎、渋谷実、野村芳太郎などの監督が健在で日本映画の黄金時代を築いた。昭和35年頃から大島渚、吉田喜重、篠田正浩ら松竹ヌーベル・バーグといわれる若手監督が登場する。映画産業そのものは斜陽となったが、松竹では山田洋次監督による渥美清の喜劇路線で不振を何とか乗り切ってきた。岩下志麻、倍賞千恵子、松坂慶子らが長らく松竹の看板女優であったが、近年、田中麗奈が「犬と私の10の約束」「築地魚河岸三代目」「ゲゲケの鬼太郎千年呪い歌」と松竹作品の出演が続いている。

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