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2008年4月12日 (土)

三木清の龍野中学時代

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    三木清(1895-1945)は、龍野市揖西町小神の裕福な農家に生まれた。龍野中学時代は反抗と懐疑に駆り立てられていた。多趣味で何にでも首を突っ込み、友達にもめぐまれた。この頃、必要もないのに月に1回は徹夜して読書することに決めていたという。軍人と商人以外のあらゆる種類の人間になることを空想し、中でも文学では頽廃主義や自然主義の流行に追随し、戯曲、小説、短歌、批評などすべての文学のジャンルに手を染めていった。けれども、国語教師の寺田喜治郎は三木に徳富蘆花の『自然と人生』を副読本として与えた。寺田はこの本の字句の解釈などはしないで繰り返し読むように命じ、蘆花のもっていたヒューマニズムが、知らず識らずの間に三木の内面で育っていった。

    三木清は京都帝国大学2年を終えた夏、知的生活の目覚めから22歳までの精神の遍歴を「語れざる哲学」として綴った。

私が知恵によって目覚まされてから後いくばくもなく私の懐疑が始まった。私の意識された知的生活の殆ど最初の日から、私は学校や教師をあまり信用しなかったし、またそれから教えられる道徳に大した権威をおくこともできなかった。私は悪戯好きで反抗的な子供であった。教室ではわき見をしたり、隣の生徒に相手になったり、落書きばかりしていた。けれども成績の良い子供であるという教師たちの評判が私を妙に臆病にさせた。中学時代になってからは権威に対する懐疑と反抗と自己の力を示したいという虚栄心とから私は体操の教師と衝突し、文芸部の主任に反対し、校長に対してまで反抗した。その頃私は弁論の練習をしながら大政治家になろうという空漠な野心に燃えていたのだった。伝統や証権に対する懐疑が悪いことであるとは私は決して信じない。懐疑が悪いこととして否定されなければならない場合はいつでも、第一にその懐疑が徹底していないとき、第二にその懐疑の動機が正しくないときである。懐疑主義者と自称する世の多くの人々と同様に、私も徹頭徹尾懐疑的でなかった。学校や教師を信じなかった私は書物や雑誌を信じた。そして書籍の中でも偉大なる人々が心血を傾け尽くて書いたものを顧みることは、旧思想との妥協者として謗られる恐れがあったので、私は主として虚栄心のためあるいはパンのために書かれた一夜仕込の断片的な思想を受け容れた。なんでも新しいものは真理であると考えられるような時代が私にもあった私はいわば犬の智恵をもって人間の智恵を疑ったのである。私は少しでも異なったことをいう人の名をなるべく多く記憶したり、ちょっとでも新しいことを書いた書物の題をなるべくたくさんに暗記したり、ただそれだけでいわゆる旧思想が完全に破壊され得ると考えていたらしい。(引用文献:三木清「語られざる哲学」講談社学術文庫)

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