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2008年4月10日 (木)

「もののあはれ」と山桜

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    JR青梅線の鳩ノ巣駅から川沿いの渓谷を散策する。花と葉が同時に開く山桜の花が美しい。山桜の美しさを感ずる心を、国学者・本居宣長(1730-1801)は次のように詠っている。

  敷島の大和心を人問はば

                     朝日に匂ふ山桜花

  めづらしき高麗もろこしの花よりも

                     あかね色香は桜なりけり

   宣長はこれを「もののあはれ」として、感ずべきことに心を動かすこと、つまり儒教や仏教道徳に捉われずに、美しい花を見たら美しいと感ずる心が大切だと説いている。

    評論家・小林秀雄も桜に魅せられた日本人の一人である。

「さくらさくら 弥生の空は 見わたすかぎり 霞か雲か 匂ひぞ出づる いざや いざや 見に行かん」といふ誰でも知っている子供の習ふ琴歌がある。この間、伊豆の田舎で、山の満開の桜を見ていた。そよとの風もない、めづらしい春の日で、私は、飽かず眺めていたが、ふと、この歌かず思い出され、これはよい歌だと思った。いろいろ工夫して桜を詠んだところで仕方があるまいという気持ちがした。(小林秀雄「さくら」)

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