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2008年3月23日 (日)

東亜百年戦争論

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        豊島沖海戦  栗島忠二画

  林房雄(1903-1975)は、自分が生きてきた時代の実感を次のように語っている。「私は日露戦争の直前に生まれた。生まれてこのかた、戦争の連続であったことは、五味川純平氏の四十年も私の六十年も全く同じである。だれが平和を知っているであろうか。だれも知らない。私たちが体験として知っているのは戦争だけだ」として、「私は大東亜戦争は百年戦争の終局であった」と結論づけている。つまり林の東亜百年戦争論の開始は、明治維新よりさかのぼり、ペリーの黒船渡来よりも前になる。外国艦船の出没が激しくなり、日本は、西洋列強との事実上の戦争状態に入る頃を起点とするようである。林房雄は専門の歴史家ではないのでその実証はおそらく粗雑なものであろうが、直観としてはなかなかすぐれた面がある。

近代日本の戦争は大きく分けて7つあるといわれる。1番目は維新戦争(幕末から明治維新)、2番目は日清戦争、3番目は日露戦争、4番目は第一次世界大戦期の戦争、5番目は満州事変、6番目は日中戦争、7番目が太平洋戦争である。

    とりあえず、第1番目の維新戦争の内訳だけを列挙してみよう。維新戦争は外国との戦争と内戦とがあるが、文久3年8月薩摩藩がイギリスと戦う薩英戦争、元治元年9月萩藩が英・米・仏・蘭4国連合艦隊と下関海峡で交戦、明治元年1月から明治2年6月は戊辰戦争、明治7年5月台湾出兵(牡丹社事件、征台の役とも呼ばれる)、明治7年2月佐賀の乱、明治8年9月江華島事件、明治9年10月神風連の乱、秋月の乱、萩の乱、そして明治10年1月から9月までの西南戦争である。

   近代日本の根本にあるものは、結局西洋との対決、もう少し弱めて言えば対峙であった。「東亜百年戦争」が西洋列強との対決であるとする史観は、小説という形式で司馬遼太郎の「坂の上の雲」にも一部にはみられるようになる。一部というのは、司馬は明治維新は偉大だが、昭和の戦争は愚劣であったという区別をしている点が林とは異なるのである。

    大佛次郎は、「天皇の世紀」の中で、G・B・サンソムが、吉田松陰の偉大さが分からないといっていることを引いた上で、「サンソムが、なぜ松陰が同時代人の心に強い影響を及ぼしたのか外国の研究者にはほとんど理解しにくいといったのは当然なのである。日本人ならばこれが解るとも最早言えないのである」と書いている。(引用:新保祐司「大東亜戦争とは日本思想にとって何だったのか」『日本思想史ハンドブック』)、

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コメント

先生、こんにちは。
読んでないのが貯まってしまいました。この百年間の戦争は題名に引かれて先に読ませて頂きます。
土佐の酔たんぼ?中江篤介兆民の「三酔人経倫(競輪?)問答」はフリガナがあり読めるかと思って買いましたが、私には難しかったです。
南方熊楠や牧野富太郎もですが、明治初期の漢籍に通じた西洋語使いの先人の偉業は、歴史的贈り物だと思えてしょうがありません。 

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