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2008年3月 7日 (金)

田村仁左衛門吉茂と「農業自得」

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     田村仁左衛門吉茂像

    河内郡下蒲生村(栃木県上三川町)の名主・田村仁左衛門吉茂(1790-1877)、父吉昌は、親子2代にわたって農業技術の改良につとめ、近代の科学的な農業技術改良の先駆ともいえる着実な成果をあげた。

   当時世間一般で行なわれていた苗代への播種量や田植え時に用いる一株の苗数の常識に疑問をもち、真に適正な播種量をさぐりあてるための親子2代をかけて継続的な栽培実験を重ねた。その結果、この地方で植え田一反当りの播種量7、8升とされていた常識は誤りであり、実はたいへんな厚蒔・厚植えを行っていたことを発見した。仁左衛門が実証したところでは、もっとも収量のあがる苗数や株数から厳密に逆算すれば、適正な播種量はおよそ反当り2、3升であるとしている。仁左衛門はこうした実験観察のため、数年分の作付け状況を一目で同時に比較対照できる農事帳形式を工夫案出していた。仁左衛門の技術改良は畑作にもおよび、各種の畑作物間の輪作体系を工夫し、収量を増し、病虫害を引きおこさない作付き方法の発見につとめていた。これらの技術改良によって天保年間の凶作時にも被害を最小限にくいとめる成果をあげることができたという。田村仁左衛門はこの成果を、独自の技術体系として確立することにつとめ、隠居後執筆に取りかかり、天保12年に草稿を書きあげた。たまたま天保改革期にあたり江戸を追放されて秋田へ帰郷する途中の国学者平田篤胤がこの書を目にとめて、みずから「農業自得」と命名し、出版をすすめたことから農書として世にでることになった。田村仁左衛門の農業技術の改良と普及の努力はその後も継続し、「農業根元記」「農業自得付録」「農家肝用記」などの著書がつぎつぎとだされた。(参考文献:阿部昭「近世村落の構造と農家経営」文献出版 1988)

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コメント

いつも興味深く読ませていただいております。

さて僭越ながら…

田村仁左衛門吉茂の生年月日がおかしいのではないでしょうか?

ケベル先生、こんにちは。
篤農家の話は宮本常一の文庫本「わすれられた日本人」に載ってたのを読んだ位です。土佐源氏を読むために買いました。
農学博士号、林学博士号は博士のなかでも時間のかかる取りにくい値打ちだそうで。今はバイオで若くしてとれる理由があり、細菌は培養しても世代交代が速いからみたいです。

さとるさん、ご指摘ありがとうございます。訂正しました。寛政2年10月10日生まれで、明治10年4月11日に没しています。享年88歳。(農文協「人づくり風土記9栃木」)田村吉茂の権威に媚びない姿勢と合理的精神は近年高く評価されています。田村のほかにも江戸時代には郷土の発展を担った篤農家が全国各地にいたのではないでしょうか。これから調べてみます。

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