篤姫とペリー提督
NHK大河ドラマ「篤姫」が面白い。第12回「さらば薩摩」では篤姫(宮崎あおい)がいよいよ江戸へと旅立つ。つまり嘉永6年(1853)8月21日。この前月、7月8日、アメリカの海軍提督マシュー・カルブレース・ペリー(1794-1858)は4隻の軍艦を率いて浦賀沖に現れた。篤姫が2ヵ月の旅を終え、江戸の薩摩藩邸に入ったのは10月のことである。国情はペリー来航で騒然としていた。「泰平のねむりをさます正喜撰、たった四はいで夜もねられず」という狂歌が流行った。徳川家定(堺雅人)と篤姫の縁組みの話は遅々として進まなかった。安政2年10月には安政大地震があり、縁談はさらに遅れた。こうして婚姻が正式に決まったのは安政3年(1856)のことであった。篤姫の入輿は一橋派の慶喜擁立のための工作であったが、わずか2年で家定が病没したため、南紀派の推す慶福(松田翔太)が第14代将軍となった。未亡人となった篤姫は天璋院と称し、大政奉還から江戸城開城へと至る歴史の転変の中、徳川家存続のため、可能なかぎりの働きをした。
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