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2008年3月26日 (水)

中山太一と双美人

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           化粧品のパッケージ・デザイン

    戦前、街を歩けば「仁丹」か「クラブ」か、と言われるほど、特に関西では「クラブ化粧品」の街頭広告が目についた。クラブ化粧品は中山太一(1881-1956)が明治36年に神戸花隈で化粧雑貨業「中山太陽堂」を開店したのがはじまりである。商品としては「クラブ洗粉」を発売し、双美人のシンボルマーク(原案は画家の中島春郊)が広く知られるようになった。明治期、白粉の「御園」、歯磨の「ライオン」、化粧水の「レート」、洗粉の「クラブ」といわれた。中山太陽堂の商品には、洗粉、歯磨、白粉、粉白粉、水白粉、ポマード、化粧水、クリーム、乳液化粧水、美身ゼリー、眉墨、チック、歯磨チューブ、歯ブラシ、石鹸などがあった。プラトン社をつくり雑誌「女性」(大正11年)「苦楽」(大正13年)「婦人文化」(大正15年)を発行した。美容だけにとどまらず、中山文化研究所を設立して女性を全面的にサポートするための総合サロンを開設している。

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