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2008年3月29日 (土)

日本海軍の人事弊害

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     海軍の昇進は兵学校の卒業年次と成績順位が基準となっている。平時は年功序列でもよいかもしれないが、戦時は序列無視の適材適所の人事が絶対に必要であろう。だが、長い人事の伝統は戦争という非常事態でも直せなかった。

     「赤城」「加賀」「蒼龍」「飛龍」の空母4隻を一瞬にミッドウェー海戦で失った南雲忠一機動部隊司令長官(海兵36期)は、帰途、連合艦隊旗艦「大和」に移り、山本五十六長官に敗戦を報告した。南雲長官以下、幕僚全員の自決が先任参謀から提案されたが、参謀長の草鹿龍之介少将(海兵41期)が押しとどめた。草鹿は山本に「仇をとらせてください」と涙を流しつつ哀訴した。じっと聞いていた山本は、最後に一言「わかった」と応えたという。結局、山本長官の温情主義が大きな過ちを生み、日本の運命を決めることになる。もともと南雲中将は水雷戦隊の指揮が専門で、航空専門ではなかった。山本長官も南雲は適材適所ではないと感じていたが、南雲中将に機動部隊を託したのは、兵学校の卒業年次にとらわれたからだったといわれている。海軍は上級者ほど信賞必罰の気風に欠けていたのだ。(引用文献:「面白いほどよくわかる太平洋戦争」日本文芸社)

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