蘭渓道隆と建長寺
建長寺 蘭渓道隆像 国宝
鎌倉幕府執権・北条時頼(1227-1263)は源氏三代と北条氏の霊を弔うため、道元(1200-1253)を招き、寺院建立を請うたが、権勢におもねることを嫌う道元は、その申し出を断わる。その時、南宋より来日した蘭渓道隆(1213-1278)が寿福寺にいた。時頼は道隆に帰依して、寺院建立を申し出る。建長5年(1253年)、開山に蘭渓道隆を迎え、我国初の禅宗専門道場建長寺、成る。蘭渓道隆は、その後、迫害されたり、流.謫されたり、苦難の晩年を送った。
臨済宗大本山建長寺は、鎌倉五山の第一位の格式を彷彿とさせる、関東唯一の七堂伽藍を備えた禅寺。当時日本で盛んであった密教的な禅とは異なり、厳しい清規のもとに修業生活を送る蘭渓の禅風は、宋風禅とよばれた。その門に参じた修行僧は多く、建長寺は一大禅林となった。歴代住職は名僧ぞろいで、兀庵普寧、大休正念、無学祖元、一山一寧、桃渓徳悟、南浦紹明、高峰顕日などがいた。
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