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2008年2月 8日 (金)

冠松は行く

   登山の楽しみは、山の頂を征服することだけではなく、山と山との間の渓谷を歩くことにも楽しみがあることを気づかせてくれたのは、冠松次郎(1883-1970)であろう。冠松が渓谷の美に魅せられて歩いていた頃は大正中期から昭和初期にかけてである。彼は30代半ばから40代前半であろう。そのころ黒部上流にはまだ太古の自然が残されていた。「その美しさは大自然の成せる美しさである。古来その峻険と深奥をもって名あるこの渓谷は、今日なお殆ど斧鉞を加えられていない原生林によって占められている。かりにこの森林に伐採を試みても、その木材を搬出することには容易ではなく、莫大な費用を要するため採算がとれずに、今なお昔日の幽深を存している」

    冠松は黒部ダム建設工事に対してどのような思いであったろうか。徹底抗戦するのかと思いきや、彼に自然の景勝を保全する自然保護の思想があまりみられないのは、不思議なほどである。むしろ観光レジャー化を推奨しているようにすらみえる。次のような文章が残る。「この発電工事の竣工につれて立山の秘境とされていた東面の景勝がにわかに脚光を浴びてくることが予想される。内蔵の助谷、内蔵の助平、黒部別山、御前谷、御前の滝、御山谷などの美しい、あるいは壮大な風景が、一般登山者の前にデビューしてくると思う。とにかく黒部に山上湖が出現し、黒部の中流の美しさが開発されれば、都会からほとんど歩かずに黒部の奥に入れる。それこで魚釣もできるし舟遊びもできる。湖畔のキャンプも考えられる。君、黒部へ月見に行かないかと、夜行で東京から乗物で大町へ、大町からバスで湖畔に乗りつけ、翌日は湖辺に遊び、夜は湖上に舟を浮べて、君、立山の月はすばらしいなあ!と得意になる者もいるだろう。(中略)原始的な黒部は、その中流において影をひそめるが、それに代って日本第一の観光遊山地の出現を見ることは、疑いないことと思われる」(「黒部」修道社、昭和34年)

    今日、冠松の著書が広く愛読されるのは、黒部ダム建設で渓の美が見られなくなってしまったために、かえって短期間に古典的な価値や評価が上がり、登山家には憧憬をもって読まれるのであろう。冠松とは本当に幸せな人である。

    余談だが、ケペルは学校映画会で三船敏郎、石原裕次郎主演の「黒部の太陽」(昭和43年)を観た記憶がある。冠松が亡くなられたのが昭和45年。おそらく冠松もあの映画を観ただろう。今日、容易に見ることができないあの映画を観て死んだのも彼の運のよさを感じる。

▼剣の大滝を囲む大山壁

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