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2008年2月28日 (木)

岸田劉生の作風の変化

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新緑小閑(紙本着色)  大正14年

   岸田劉生(1891-1929)は明治41年、赤坂の白馬会葵橋洋画研究所に入って黒田清輝に師事している。そして2年後の19歳のとき、第4回文展に外光派風の風景画二点を初出品して入選するなど、早くから洋画家としての才能を認められた。

   明治44年ごろから、白樺派に共鳴してゴッホやセザンヌに傾倒し、大正元年、高村光太郎、斎藤与里、木村荘八、万鉄五郎らとフューザン会を結成した。

   しかしデューラーなどの北欧ルネサンスへの傾倒から厳格な写実主義を追求し、時流の印象派とは完全に対立する方向に進んだ。

   大正6年、鵠沼に転地してからは、自分の娘麗子や村娘お松の像などを連作、写実と装飾を融合する充実した作境を展開した。だが、その間に宋元院体画や初期肉筆浮世絵への傾倒と、日本画を描き残し、その作風はつねに大きく変化していった。

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