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2008年2月 4日 (月)

岩の坂もらい子殺し事件

   東京のはずれともいえる板橋の岩の坂は、江戸時代には中仙道の宿場町として栄えていた。ところが明治になって鉄道が敷かれるようになり、急速に宿場町は廃れて、街はスラム化していった。関東大震災以後、岩の坂は東京最大のスラム街といわれるようになった。昭和初期、長屋が20棟、木賃宿が10数件あり、約70世帯2000人が住んでいた。

    昭和恐慌は大量の失業者を生み出し、都市に流入した細民(下層の民、貧民)は最底辺の生活を余儀なくされた。昭和5年4月、こうした世相を反映する陰惨な事件が発覚した。「岩の坂もらい子殺し事件」である。ここでは多くの事情があって育てることのできない子をもらい子として養育料と引きかえにもらい受け、うまく成長すれば4,5歳になるともらい乞食や遊芸乞食に、14、15歳になると女は娼妓、男は炭鉱の雑役夫に売り飛ばしたという。ひどいときは事故死にみせかけて殺害した。死んだ子どもは年間で30人はあったという。(参考:「大量失業時代と病める都市」昭和2万日の全記録、講談社)

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