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2008年2月14日 (木)

こちらはロンドンです

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   1940年夏、ドイツ軍のロンドン空襲を毎晩ラジオ中継で何百万人ものアメリカ人に生々しく伝え、のちに「アメリカの良心」といわれたひとりの通信員がいた。

   エドワード・R・マロー(1908-1965)。ノースカロライナ州ギルフォードに生まれる。ワシントン州立大学卒業後、1935年にCBSに入社。1938年、ヒトラーのオーストリア侵攻を取材。感情を抑えた冷静な口調で一躍有名になる。やがてマローの「こちらロンドンです」と例の口調で番組をはじめる現地レポート番組は人気をよび、その影響でラジオは急速に普及する。

   「わたしの左手では、怒ったように対空射撃する高射砲が激しく赤い火を吹き……サーチライトが4つ上空を照らして振れ動いています。敵機が、いまわたしの上空です。いま、すぐに2つの爆発音が聞えました」

   そのとき爆弾が落ちてくる音やサイレンが鳴り響くのを多くのアメリカ人はラジオから聞いた。

    画像は中折れ帽を小粋に傾けてCBS通信員マローが、ロンドンの万霊教会(右)や爆撃の最中にその屋根から放送したイギリス国営放送局の建物を大股に通り過ぎて行く様子である。

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