「赤いチョッキの少年」の悲劇
1890年代までは、ポール・セザンヌ(1839-1906)の作品はパリのタンギー爺さんの小さな画材店でしか彼の絵を買うことができず、ほとんど無名に近かった。1895年に、画商のアンブロワーズ・ヴォラールがセザンヌの個展をパリで開いた。この個展を境としてセザンヌの名声は高まっていった。
半世紀後の1958年10月15日。1400人の美術愛好家と何万というテレビ視聴者が、ロンドンのサザビーズのオークション・ルームにおける記録破りの競売を見つめた。アメリカのポール・メロンがセザンヌの「赤いチョッキの少年」を61万6000ドルで競り落としたのである。「世紀のオークション」といわれ、当時近代絵画に支払われた史上最高の額であった。セザンヌの「赤いチョッキの少年」といえば最近あった盗難事件を思いうかべるであろう。だが、当時のサザビーズの写真をみると盗まれた絵とは異なる。「赤いチョッキの少年」というモチーフは複数存在するのだろうか。
盗難の絵画がどのような経緯でスイスの実業家エミール・ビュールレ(1890-1956)の手に渡ったのかも明らかではない。ビュールレ・コレクションとしてチューリヒ美術館、ビュールレ美術館に蔵されるようになった。個人美術館の警備の甘さがあったのかも知れない。ここに名画の悲劇が生まれた。2月10日、覆面をした3人組の強盗団に油絵4点が盗まれた。「赤いチョッキの少年」はそのなかの1点である。
犯人たちよ、いまからでも遅くない。すぐに返せ!
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