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2008年2月16日 (土)

榎本美佐江と日本調歌手

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         神楽坂はん子(左)と榎本美佐江(右)

 

    日本調美人歌手といえば、藤あや子、伍代夏子、長山洋子などを思い浮かべるかもしれない。しかし日本調歌手の定義を「着物姿で日本調の曲を歌う」とすれば該当するのだが、「鈴を鳴らしたような美声」という歌唱法を条件に加えるとすれば、いま日本調歌手は一人もいないかも知れない。

    鶯芸者といわれた芸者たちがレコーディングするようになったのは昭和5年ごろだろうか。藤本二三吉、小唄勝太郎、市丸、赤坂小梅、新橋喜代三、浅草〆香、日本橋きみ栄、豆千代などが戦前派日本調歌手。戦後は久保幸江「トンコ節」、鈴木三重子「むすめ巡礼」「愛ちゃんはお嫁に」、神楽坂はん子「ゲイシャ・ワルツ」「こんなベッピン見たことない」、榎本美佐江「お俊恋唄」、神楽坂浮子「十九の春」、五月みどり「おひまなら来てね」、二宮ゆき子「松ノ木小唄」など昭和30年代まではヒット曲が続いた。

   昭和40年代になると、日本調美人歌手はほとんど懐メロ歌番組でしか聴けなくなった。戦後最も親しまれた歌手は榎本美佐江かもしれない。当時、子供でも国鉄スワローズの金田正一の妻であることはよく知られていた。そして離婚後の芸能界復帰も藤田まことの「てなもんや三度笠」で鳥追い女でレギュラー出演していたのも覚えている。榎本美佐江こそは、天性の美貌と美声で日本調美人歌手の第一人者だ。戦前、小笠原美都子が歌った「十三夜」のリバイバルは名唱で「十三夜の榎本か、榎本の十三夜か」といわれるほどである。

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