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2008年2月10日 (日)

安土城の石垣と穴太衆

    戦国時代の石垣は野面積み(のずらづみ)によって積まれていたが、ただ山城における防御の中心はあくまでも土塁であって、石垣が使われたことは少なかった。城の塁壁に石垣が多用されるようになるのは織田信長が築いた安土城のころからである。この安土城の石垣を積んだのがいわゆる穴太衆(あのうしゅう)で、もともとは近江国滋賀郡坂本村穴太において石材業に従事していた石工であった。穴太衆はこののち、諸国の大名に請われて築城に従事したため、その技術が全国に広がったとされる。

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「日本史」カテゴリの記事

コメント

おおっ。石垣の話だ。先生ありがとうございます。
大洲城の石垣も彼等が築いたのかなあ。叶石材店とかが肱川近くにあったけどいかだで流したかのかな。出石(いずし)という地名もあります。故郷を離れると懐かしい事ばかりです。
坂本は明智光秀の土地で、龍馬と同じ家紋の桔梗柄でーす。坂本龍馬のは升に桔梗だけど。土木屋?で開墾して私有地を増やせる家来がいた家系なのかもしれませんね。
最近の美術シリーズはニッケイの日曜版みたいで落ち着きます。
名を残す、絵や作品、仕事で残す。周りに助けられて、迷惑をかけて残す。色々の人生。
ケペル先生が淡々としてまとめられた文章のブログを読ませて頂いてますと、紅茶より白湯を飲みたくなります。私の人生を私は最後まで飲み干しますよ。あっ、お酒も。

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