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2008年2月14日 (木)

双葉山と縁結びの高安病院

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    双葉山定次(1912-1968)は昭和13年の満州巡業で赤痢にかかり、大阪の高安病院(道修町旧4丁目)に入院することとなった。体調不良をおしての大阪1月場所。4日目、安芸ノ海の外掛けに敗れ70連勝はならず。和田信賢アナウンサーの「70古来やはり稀なり」という名言がラジオから流れた。

   場所後、双葉山は小柴澄子(23歳)と結婚した。澄子は高安病院に入院したとき見舞ってくれ、看護してくれたことが二人の愛を育くむきっかけとなった。

   澄子は大阪天王寺区夕陽丘の金融業者の一人娘。天王寺高校から樟蔭女子専門学校、大阪堂ビルの割烹学院に通っていた。澄子は両親を亡くし、大阪帝大理学部助教授で叔父の渡瀬武男の元で暮らしていた。二人の突然の結婚は関係者を驚かせた。当時横綱が相撲界とは関係のない世界から花嫁を迎えるのは異例のことで、当初は関係者から反対もあった。しかし双葉山と相撲の人気はますます上がり、5月場所から興行日数は現在と同様の15日となった。そして結婚後初の場所、双葉山はみごと15戦全勝で優勝した。

   二人の縁結びの病院はそれからまもなくのこと、昭和17年に閉院となったのは残念なことである。建物は空襲により焼失し現在はないという。

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コメント

自主上映の映画で高安病院の写真を使いたいのですが、ネットで捜していてこのブログに出会いました。
もし写真をお持ちでしたら教えていただきたいのです。
よろしくお願いします。入江富美子

高安病院は明治39年頃創建され、大阪市東区道修町丼池角にあり、有名な病院だった。大阪府立建築士会編の「近代大阪の建築」(1984年刊)という写真集にも建物の外観の写真が採録されている。

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