白いパラソル
そのころの太宰治は自殺未遂、薬物中毒、最初の妻・小山初代との離別とどん底の状態だった。
昭和13年7月、井伏鱒二を通じて石原美知子との縁談が持ち込まれる。そのころ書かれた「満願」(雑誌「文筆」掲載)という小品には、健康的で明るい太宰の別の一面がよく出ている。
伊豆の三島でひと夏を過ごす、太宰らしき小説家は、西郷隆盛のように大きくふとった町医者と親しくなる。毎日、散歩の途中に医者の家へ立ち寄るようになって、小説家は薬をとりに来る若い女に気がつく。
簡単服に下駄をはき、清潔な感じのひとで、よくお医者と診察室で笑い合っていて、ときたまお医者が、玄関までそのひとを見送り、「奥様、もうすこしのご辛抱ですよ」と大声で叱咤することがある。お医者の奥さんが、或るとき私に、そのわけを語って聞かせた。
つまり、病気の治療中のため性交渉が医者から固く禁じられていたのである。
八月のおわり、私は美しいものを見た。朝、お医者の家の縁側で新聞を読んでいると、私の傍に横坐りに坐っていた奥さんが、「ああ、うれしそうね」と小声でそっと囁いた。ふと顔をあげると、すぐ眼のまえの小道を、簡単服を着た清潔な姿が、さっさっと飛ぶようにして歩いていった。白いパラソルをくるくるっとまわした。「けさ、おゆるしが出たのよ」奥さんは、また、囁く。
この作品は回想になっているが、4年前というから、太宰が静岡県三島の坂部武郎方に居候として2ヵ月滞在していたころの話である。坂部は金木の番頭・北芳四郎の妻の実家であった。太宰はその頃の話を楽しそうに古谷綱武に語っている。「眠れないと真夜中に、下におりていってまず酒をひといきでのんだという話をしていたように思うのだが、酒屋ででもあったのであろうか」と古谷は書いているが、本当に坂部は酒屋を経営していた。酒豪の太宰にとっては天国だっただろう。(参考:古谷綱武「私の名作鑑賞「満願」、現代文学大系54、月報20 筑摩書房)
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