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2008年1月21日 (月)

嵩山房

    書籍商の小林新兵衛が、荻生徂徠にたのんで言うことには、「わたしどもの店には屋号がございません。どうか先生に私の店に名をつけていただきたく存じます」と。すると、徂徠は笑いながら言った。「本屋でわたしのところに出入りするものは五人いる。そして、おまえの売る書物が値段は一番高い。たとえていえば、あたかも嵩山が五岳の中に最高の山としてあるのにそっくりだ。それで嵩山房と名づけるのがちょうどよい」と言った。(先哲叢談)

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